密教というと大半の人は難しい
とっつきにくいと感じているだろうが、私に言わせると
これほどわかりやすい教えはない。根本的な要点は
「金剛サツタの大楽三昧」の中に要約されている。
「私たち人間も清らかな宇宙生命活動そのものなので、
私たちの煩悩も取り除くべきものではなく、制御して
浄化すればいいのである。だから大楽三昧というのは
捨てるべきもの、取り除くべきものなど何もない」
というものだ。まず最初に宇宙の生命活動をあるがままに
受け入れなさい。その上で欲望を浄化しなさいと。浄化
の技法として、瞑想によるクンダリーニとチャクラの開発
がある。どのチャクラも重要だが、人間の欲望に関しては
喉の第5ヴィスッダチャクラだろう。このチャクラは
シャクティ=他者の征服のため外に向かうエネルギーが
大逆転して、内なる神・悟りを求める心(菩提心)に向かう
浄化のチャクラだからだ。
人の欲望とは果てしのないもので、異性や物、社会的地位
や権力、果ては国まで、ありとあらゆる外のものを、もっと
もっとと際限なく欲しがる生き物だし、それが人類の歴史だ。
しかし魂の安らぎは得られない。アレキサンダー大王など
歴史に名を残すほどの征服者でさえ、個人的には孤独と
不安に苛まれながら死んでいる。それよりも内面に潜む魂
を発見し、その永遠性を思い出す方が遥かに有意義だと
思えるかどうか。
密教は最初から宇宙と人間の煩悩の海にドボンと飛び込む。
その航海の海図になるのが金剛頂経と大日経という経典と
曼荼羅だ。金剛頂経は大日如来など如来と菩薩の世界とは
いかなるものかを知る、私たちが目指す目標となる。そこへ
向かう旅の友は菩提心(悟りを求める心)という強固な意志
である。
如来や菩薩は火炎輪や金剛杵輪という二重の結界の内側の
清浄世界に在る。火炎はおそらくクンダリーニ上昇時の熱量
だろう。金剛杵は密教の法具で、菩提心の象徴だろう。そして
「清浄」とは、清らかだからといって尊んだり、穢れているから
といって遠ざけたりすることのない心のことである。最近
お花畑のようなスピリチュアルな人々が数多くいるが、そういう
世界では決してない。
大日経は金剛頂経とは逆に、大日如来の光が煩悩だらけの人間
世界に広まっていく様子を説いている。原文は真言宗のお坊さん
や学者さんなどが読んでもらって、私たちはその解説を聞けば
いい。大日経の第1巻往心品は、私たちの心の実相を60に分析
した心理学なのだ。阿含宗の桐山靖雄「説法六十心」がいいと
思う。