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Channel: 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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ルシファーとアーリマン

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私は以前「アストラルの森/聖人間工房」なる
小説を書いた。概要は「公務員の大町遼介は、ふとした
きっかけで聖書を読み始める。ある夜エブラと名乗る
意識体が遼介の無意識を乗っ取り、自動書記でメッセージ
を届ける。それによって崇高なる使命に目覚め、世界
の革命を志すのだが、これは人間心理の大いなる罠
だった。いつの間にか純粋な精神は個人的な暴力に
すり替わり、遼介は次々に殺人を犯してゆく。人間心理
の本質に迫るアストラルシリーズ」というものである。

http://www.amazon.co.jp/-/e/B00GYN536S


執筆の動機は、実際に私のもとに自動書記を行うチャネラー
が現れ、世界を救済しようではないかという誘いをうけた
体験に基づく。ゆえにエブラの太陽王など内容の4割
ほどは事実である。インスピレーション執筆の項で書いた
ように、自動書記はそのとき導いている霊のレベル以上に
高まることはないのだが、問題なのは霊のレベルを審神
(さにわ)することにある。

彼が訪れた当初、見せられた詩は、ロマンティックの度合い
が高いものの波動は純粋で透明感があった。だが十字架を
見て涙を流したり、大天使ミカエルの幻視を見始めた頃
から様子が違ってきた。「私は偉い」という自我の増徴が
現れ、世界支配という世界にシフトしていった。私はその
霊と大喧嘩して彼と決別するに至る。

後に私は20世紀の神秘思想家ルドルフ・シュタイナーの
解説を得て、その時の霊がルシファーであると知る。
シュタイナーは人類の進化に干渉する悪魔的存在として、
人間を幻想の中に引きずり込み、自尊心を増大させる
ルシファーと、人間を物質の中に閉じ込め、破壊衝動を
植え付けるアーリマンの2種類をあげている。いずれも
人間の弱点である。プライドは高いが自らの主体を
持たない未熟な自我の者ほど、ルシファーの餌になり
やすい。彼らは聖者の夢を見せられる。無論カルト集団
の教祖と信者、ストーカーなどもルシフェル的と言える。


一方唯物主義を標榜する共産主義教育を土壌とする国民
は、アーリマンの餌となりやすい。環境汚染が深刻な
中国からは、アーリマンの高笑いが聞こえてくる。物質的
意識状態に縛られているので、レジャーとグルメ、美容
整形やモノを消費する為だけに生きている人々がその
温床となる。

「しょせん人間どもなど我らの奴隷よ」という高笑いが
聞こえてくる。



ヤハウエとイナンナ

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私が執筆した小説「アストラルの森」は、
そもそもNHKFM「日曜喫茶室」に登場した誰かが、旧約
性書の主題は、ヤハウエとイナンナ(イシュタルょの闘争
なんですよ、という言葉に始まる。なるほど失楽園神話は、
女と蛇と大地を悪魔として呪詛することから始まる。
それはやがて、放浪のユダヤ人が乳と蜜の流れる大地に
住む定住カナン民への呪詛に受け継がれてゆく。さらに
キリスト教のパウロ神学によって、イエスは神の子羊
としてセックスから極端に切り離され、現在に至って
いる。


http://www.amazon.co.jp/-/e/B00GYN536S


一方のマザーアース(大地母神)イナンナ、イシュタル、
アスタルテ、キュベレなどのオリエントの女神たちは、
は、男女一対の性愛の女神である。人類史における
この対立はメインテーマにもってこいだった。

イナンナと夫ドゥムジの愛は「彼の手はわが手とつながれ、
彼の心はわが心と結びつく。手に手を取って眠ることは
喜ばしく、心と心が結合することはさらに喜ばしい」
とある。

だがその一方でイナンナは、実兄ウトゥとも関係を重ねる。
「わが愛しき者と関係を分かち合う。わが兄はわれを
寝床へと導き、ともに舌をからめ、ともに愛す。美しき
兄はわれを50回にわたり愛した。」

となかなか濃厚な南国の角津の甘さを感じさせる。こりゃ
ユダヤ・キリスト教世界と対立するよなぁ。


父性原理の代表である最高神ヤハウエに関して、
ナグ・ハマディ写本曰く、ヤハウエ(エホバ)は唯一(最高神)
ではないといっている。ヤハウエが

「我は神なり。我の他に神なし」と述べた時、
「サマエル(盲目の神)よ、あなたはまちがっている。不死なる
光の人(アンドロポース)があなたの前に存在している」という
怒った声が天上から聞こえてきたという。

またヤハウエが
「我は妬む神なり」我の他に神なし」と述べた時、ヤハウエ自身、
自分以外に神が存在したことを示したと記している。

また、母なる神が男性原理のシンボル・ヤハウエに対して
「嘘をつくのはやめよ」と叫んだともある。神話世界でも男と
女はややこしい。


誰が救われていないと言っているのだ?

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「自分の人生の中で自分が興味を持っている分野が
だいたい自分の大事な過去生とつながっています」と、
宇宙意識バシャールは語る。


私の過去生を語るエピソードがいくつかある。1つは
夏休みの絵日記の宿題で、私は山を茶色く塗り、母から
「よく見てみなさい。山は緑色でしょ」と叱られた事だ。
どうやら山は茶色だという観念が根深くあったらしい。

もう1つは高校入学直後、教室で無料の新約聖書が配ら
れた。私はその本に湧き上がる怒りを覚え、自宅の部屋で
床に叩きつけて投げ捨てた。それまでロクに聖書など
読んだことなどなかったのだが。これのせいでどれだけ
多くの人々が殺され、拷問されてきたことかという思い
だった。そらに振り返ってこの時の感情を分析してみると、
「この書はイエスの教えを愚弄するものである」という
思いがあった。事実聖書にはさまざまな捏造があることが
分かった。私は宗教的とは言えない家庭で育ち、現世で
キリスト教を憎むトラウマがあるとはどうしても思えな
かった。

小説「アストラルの森」の執筆は、当然私の個人的無意識
から人類の集合的無意識へと下降していった。すると顕在
意識では考えもしなかった過去生に関すると思われる情報
が浮かび上がってきた。最初に設定したのは、寺西真梨と
金刺(かなさす)弥生を私のアニマとイメージした。真理
には性に対するトラウマを、弥生には十字軍にわが身を
犯された上に殺され、わが子を串刺しにして焼かれると
いう、史実に基づいた役を与えた。

http://www.amazon.co.jp/-/e/B00GYN536S


執筆中に湧き上がる怒り、憎悪の感情は想像以上のもの
だった。そうした無意識の感情を吐き出して公言することで
カルマを解消しようとした。だがそれだけでは完全に消滅
したわけではなかった。エドガー・ケーシーによれば、
心臓病・動脈硬化・胆石・視力の減退などは、憎悪・怨恨・
憤激などの感情に由来するという。私も労作性狭心症、
胆石除去、白内障の手術を体験することになった。
私のキリスト教に対する無意識の怨念はすさまじいもの
だった。

だがこの関門を通過しなければ、私の過去生のトラウマを
意識化し、禅の悟りを経て、ルシファーが仕掛けた「原罪」
や「救世主」という観念の罠から脱することは出来なかった
だろう。私は執筆中に、人類が救済されるとはどういう
ことかを考えざるを得なくなった。私のハイアーセルフは
端的に答えてくれた。

「誰が救われていないと言っているのだ?」


人間の意識を操作する方法

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韓国には親日罪という罰則がある。反日のテロリスト
が英雄視され、捏造された歴史の反日教育によって、
子供たちまで平気で日の丸の国旗を燃やして喜ぶ絵を
描く。彼らは国の情報操作と教育によって考え方、
志向、行動を入力操作(プログラミング)され、視界も
思考も判断も限定された価値観に餌付けされた中で
生きている例である。

日本のニュース報道などで、誰かが死ぬと「安らかに
御眠りください」と言う。これは何も死後生の事まで
洞察して言っているわけではない。単なる慣用句である。
つまり死生観など「何も考えていない」のである。
だがこの「眠る」というキーワードによって、人々の
無意識には「人は死んだら眠るのだな」という観念が
刷り込まれてゆく。

「大衆」とか「庶民」という言葉がある。これらの反対語
は「支配者・特権階級」という存在が浮かび上がる。だが
私たちはそこまで考えずに、半ば無意識に「私たちは平凡
な庶民の1人」であることを受け入れている。だからたとえ
何十億人だろうとも、人間を支配するのはさほど困難では
ない。古代から人間の意識を操作する方法がある。鍵となる
言葉や文章、音、色、象徴を用いて情報を管理統制・宣伝
して遠隔操作するのである。

太古からの叡知は「私たちは何者か? 私たちはどこから来た
のか? 綿とたちはこの星で何をしようとしているのか?」
という人間の基本的真実を明かしてくれる。だがルシファー
とアーリマンに属する者たちは、彼らにとって都合のいい
情報を与えて「人間ども」を管理・支配してきた。現在に
残る代表的情報は、旧約聖書創世記の失楽園神話」であり、
「原罪」という思想である。

最初の世代はそれを「善き教え」として子供に伝える。子供
たちは孫を正しく導くために教えを伝えてゆく。この蓄積が
5000年にも及ぶと、もはや人間の意識も無意識も限りなく
神から分離し、自分の存在感を掴めぬまま漂流し続ける事に
なる。恐怖と罪悪感のドグマに支配され、自らもその信念と
信仰にしがみつくのである。ルシファーは人間の支配欲を
挑発し、アーリマンは物欲で魂を縛り付ける。

サタン/蠅の楽園

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イエジート教徒の神話によると、私の守護神・孔雀明王は
かつて堕天使だった。神々に追放されて地獄に堕ちたが、
彼の流した贖罪の涙が7つの瓶を満たした時、解放されて
楽園に帰ることが出来た。その後、一切の諸悪を滅ぼす
力と、美しい慈愛の相を持つ彼に孔雀王の名を与え、
守護神の地位につけたとある。

鬼子母神もかつては子供を喰らう鬼母だった。だが仏陀に
愛するわが子を取り上げられて悲嘆に暮れ、回心して
子供を守る守護神になった。諸々の天界を極めたならば
その根は地獄の底深くにまで達しているという仏教的
宇宙観の奥深さなのだ。

だが西洋世界の悪魔は、回心することなくずーっと悪魔の
ままのようである。悪魔の親分はサタンと呼ばれている。
ギリシャ神話のサトゥルヌスに関連した言葉で、悪龍や
大蛇に姿を変え、人間(アダム)を誘惑したとされる。
サタンは当初、ヤハウエの宮廷における導法者の一人
だった。後に神に反抗し、ヘブル語で敵対者を意味する
サタンと呼ばれたり、神を凌ごうとする過信者の巨魁・
ベエルゼブルと呼ばれたりする。

だがベエルゼブルは別名・蠅の王である。人間を含む
動物の死体からは蛆が湧き、やがて蠅に成長する。糞尿
にも蠅が集る。疫病や戦争によって野に山に死体が満ちる
と、強烈な腐敗臭が漂い、蠅の群れが黒く天地を覆う。
それはこの世の地獄の光景そのものだ。だがこうした
光景は嫌悪されるばかりとは限らない。大好きな人間
も存在するのである。

蠅が腐ったものに集まってくる性質を「趨化性(すうか
せい)」と言う。化学物質の刺激に対する移動である。
植物が太陽の方向を向いたり、蛾が灯火に集まるのは
趨光性(ヘリオトロピズム)。カタツムリやワラジムシ、
ムカデやヤスデが常に闇の方へ向かうのは走暗性。
人間の行動や心理も、それぞれの個体の性質によって
同じような事が起こる。類は友を呼ぶの法則で悪魔も
呼び寄せるのである。ヒトラーやユダヤ人ホロコースト
を指導したアイヒマンは屍体や腐敗、排泄物や流血を
愛するネクロフェリアだったという。

ナチスのハインリッヒ・ヒムラーは、セトの神殿という
悪魔教会を設立したと言われている。黒魔術を悪用した
悪魔の儀式として、拷問や子供たちの生贄、食人、飲血
などが行われたという。究極の変態性欲者たちである。
教会には性的「遊戯場」が設けられていた。こうした
場は今でも世界中にあるだろう。

地獄という場は、閻魔大王のような行為の善悪を裁く神
がいて、人を地獄に落とすわけではない。人がそれぞれ
好みの波長を選択するだけなのだ。だから本人はそこが
地獄だなどとは思っていない。蠅にとっては楽園なので
ある。

男には限度がある 女にもホドがある

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1980年ペイントハウス社が巨費を投じて制作した
歴史映画「カリギュラ」の実質は、ハードコア・ポルノ
だった。主人公カリグラは、ローマ帝国初代皇帝
アウグストゥスの曾孫で、2代ティベリウスを継いだ
第3代皇帝。歴史家は彼を「痴呆・露出狂・サディスト・
馬鹿で淫乱」と酷評している。41年に即位してから
5年間で、祖父ティベリウスが蓄財した1500億の
金を全て使い果たした。金と権力が自由に使える人間
は、異常性愛に溺れてゆく。

彼は少年時代、妹を凌辱した。妻のカエソーニアを全裸
にして鎧を着せ、近親の兵士に観賞させた。ローマ市の
美貌の娘を集めるだけ集め、兵士に凌辱させた後かたっぱし
から犯した。さらにパントマイムの役者を宮殿に引き入れ
男色にも溺れた。その行為を諌める者やシャクにさわった
者たちには、かたっぱしから自殺を強要した。

ある時は女神ビーナスや妖精ディアーナに扮して、女装
して口紅を塗り、ローマ市内を闊歩した。41年1月、
護衛官が彼のペニスを切り取られて昏絶。彼の妻や幼い
娘たちも斬殺されて血統は根絶された。


カリグラの後を継いだのは、50を過ぎた凡庸な男、
4代クラディウスだった。彼の妻は歴史に名を残すほどの
淫婦・メッサリーナだった。彼女は整った目鼻立ち、
ローマ風の巻上げ髪、張りつめた乳房と、若々しく
精力的な肉体の持ち主だった。だが先天的とまで言われる
ほどのセックス依存症だった。夫や恋人との関係だけ
では到底満たされなかった。ローマの娼家に一部屋を
提供してもらい、リュキスカという名で客をとった。
諌める者は冤罪を捏造して毒殺した。

あげくローマ随一の美貌の執政官・シリウースに熱をあげ、
皇帝の留守中、近郊の別荘で結婚式を挙げた。さすがの
善良な皇帝もこれには激怒し、重婚の罪で元老院に告発。
百人隊長の副官の手にかかって刺殺された。24歳の
若さであった。


娼婦たちの祭り「フロラーリア祭」

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ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスは、BC42年生まれ
でAD37年孫のカリグラによって暗殺されている。
イエス・キリストと同時代人である。彼は初代アウグス
トゥスの養子で、知性豊かな皇帝にふさわしい人格
だったが、下半身は極端な快楽主義者だった。お気に入り
は少年たちだった。

「彼は年端もいかぬ子供たちに、彼の股間で遊ぶことを
教えた。彼は入浴中、彼らを余の小魚と呼び、舌や歯で
軽く彼のモノに触れさせ、幼児が母親の乳房を吸うように
彼のモノを吸わせた」と「皇帝の私生活」の著者・スェト
ニウスは記している。

また、カプリ島の別荘では小舞台を作り、若い男女を集めて
「スピントゥリア」を演じさせた。つまり指輪(スピン
トゥリア)のように男女が繋がる行為である。春画の
レクターでもあった。

そのティベリウス帝の愛妾をフロラと言った。皇帝の肩や
腕に爪痕や歯型を刻む妖艶な遊女だった。彼女は莫大な
遺産を残し、その全てがローマ市民に捧げられた。これに
よって彼女は女神に昇格し、神殿が建立された。毎年
ローマで娼婦たちの祭典が開かれた。20万人とも言わ
れる娼婦たちは、乳房丸出しの長衣を着て乳首に宝石を
散りばめた飾りをつけていた。彼女たちは山車に巨大な
陽根の張型を乗せ、引き綱で巨大なフロラのご神体である
女陰に合体させるのである。最後は円形劇場で妖艶さを
競うミスコンが開かれた。ヴィーナス祭りとも呼ばれる
「フロラーリア祭」は16世紀頃まで続いたという。

キリスト教の禁欲主義

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キリスト教を創始したパウロの生年は不明だが、
ローマ帝国第2代皇帝ティベリウス、3代カリグラ、
4代クラウディウスの後妻・メッサリーナ、5代
ネロという、異常性愛に溺れた皇帝たちと同時代人で
ある。ローマ市民権を持ち、上層貴族たちと親交の
あった彼ならば、うんざりするほど皇帝一族の陰口
を聞かされてきたことだろう。地上の王に絶望した
ことは容易に想像出来る。

パウロは自らを「肉の棘を持つ者」と規定して、生涯
独身を貫いた。小アジア・エフェソスの地母神
アルテミス信仰やローマ人のダイアナ信仰に対して、
霊なるキリストは善であり、肉なる地母神は悪である
と図式化して、肉を徹底的に否定した。(コリント人
への手紙10) 

大地と女と蛇は悪魔であるというパウロのセックス観が
キリスト教の基礎となった。近代科学の基礎を築いた
と言われるフランシス・ベーコンやデカルトでさえ、
堕落した自然、魔女である地球という観念からは逃れ
られず、自然からの搾取が続けられた。私が聖書文明
と呼ぶ、人類の「神話的自我」の形成である。キリスト教
はローマの物質主義と肉の快楽に対する反作用が起爆剤
になっている。

だが徹底したセックスの抑圧と植え付けられた罪悪感の
病理は、魔女狩りなどの歪んだ性行動として噴出する
ことになる。禁じられたものへの執着が犯罪性の温床
になったのである。


魔女狩り/異常性愛の残虐性

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私の過去生はヨーロッパだったのよと、ロマンティック
に語る女性は多い。だが誰もが王侯貴族の貴婦人だった
わけではない。それどころか、魔女狩りの残虐さの中
で絶命し、その無意識のトラウマを抱えたまま現代を
生きている人も数多くいる。

キリスト教世界で異端とされたカバラの秘儀や黒魔術
の呪法などは、文字が読めてある程度の教養がないと
習得出来ない。だが魔女狩りの対象になったのは、読み
書き出来ない貧困の中に生きる農村の女たちだった。
彼女たちの唯一の楽しみは、黒ミサORサバドと呼ばれる
夜宴で、麻薬性興奮作用のあるベラドンナを飲み、
近親相姦・獣姦・レズビアンなどの快楽に酔いしれる事
ぐらいだった。

15世紀から18世紀にかけて、魔女狩りは英国を除いて
フランスやドイツを中心にヨーロッパ全土に広がった。
ヨーロッパだけで推定4~6万人の犠牲者があった。
魔術師を敵視するローマ法王インノケンティウス8世は
1484年、教書によって公式に魔女狩りを正当化した。
サバトの興奮から醒めた彼女たちは、異端審問所に引き
出された。法廷の柱には吊るし用の柱が並び、床には
拷問台が設置されていた。台にはネジ釘付きの足枷や
鉄のくさびがあった。

捕えられた女たちは、一糸まとわぬ全裸にされ、髪の毛
以外の体毛全てを剃り落された。針金で拷問台に縛り
つけられ、拷問史(針師)が全身を針で刺しまくり、悪魔
の痕跡を探し回った。苦痛を感じなければ魔女に非ず
というわけである。だがそんな女がいるはずはない。
誰もが苦痛に顔を歪め、泣き叫んだ。

もしこれで判断出来なければ「魔女風呂」が待っていた。
湯浴に手足を拘束されたまま沈められ、浮かんでくれば
魔女と判断された。魔女に仕立てられた女たちの財産は
拷問史たちの賞与になった。女たちは火あぶり刑か
鍋焼き刑によって処刑された。全裸姿の魔女たちの処刑
は絶好の見世物だった。村の公共広場には屋台が立ち、
土産物のロザリオが売られた。

「彼女たちは美しく脂がのっていた」と、異端審問所の
記録に記されてあった。



○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o

このたびアマゾンのKINDLEから「性愛文化の花道」を
出版しました。
http://www.amazon.co.jp/-/e/B00GYN536S



性愛は生命活動の原動力です。複雑な動物である人類は、
数々の制度、儀式で社会や宗教の中に性の問題を包み隠し、
正邪を論議してきました。


キリスト教の禁欲生活

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キリスト教は性愛・性欲を全面的に禁止した。だからと
言ってそれを守れなかったのは、黒ミサ(サバド)の宴に
興じた農村の女たちばかりではなかった。禁じれば
禁じたものにより執着するのが人間の業(さが)なのである。
ローマ法王も例外ではなかった。ヨハネス3世は枢機卿
時代、200人にのぼる尼僧・人妻・未亡人・娘を犯した。

1492年法王の座に就いたロドリゴ・ボルジア、聖名
アレキサンデル6世は、歴代ローマ皇帝にも負けない
漁色家だった。ローマ近郊の別邸に、娼婦あがりの侍女
を常時4~5人従えていた。彼女たちは全裸、もしくは
下着をつけない薄絹のチュニック(上衣)を纏わせた。
彼が主催する宴会には、仲間の司教や高位聖職者と共謀
して、町の上流階級の娘や人妻を招き、夫や父親は誰一人
近づけなかった。

その一方で息子のチェーザレと組んで政敵を毒殺。娘に
5回の政略結婚を強いた。それによって神聖ローマ帝国
同盟をつくり、ナポリを侵攻してきたフランスのシャルル
8世軍を梅毒のお土産付きで撃破したが、1503年、
息子のチューザレと共に昼食会の宴席で毒殺された。

後継者ユリウス2世は梅毒にかかり、鼻が欠け足は潰瘍
で腐り、手押し車に乗ってミサに臨んだ。その後継者
メディチ家のジョバンニも、女色・男色問わずに漁色
したあげく梅毒で死去した。

パウルス3世は法王使節だった時、貴婦人を強姦して逃亡。
枢機卿の地位を買うために、自分の妹を法王の妾として
差し出した。なおかつ二番目の妹と関係を持った。

アレクサンデル6世はローマの貧民150人の娘に花嫁
衣裳を贈り、その中の美貌の娘と接見して処女を散らして
いった。まあ、健康な男なら誰もが妄想しそうな話では
ある。

上層部がこれだから、修道僧や尼僧も同様だった。尼僧院
は貴族の売春宿だったし、懺悔堂の幕の内では、性的はけ口
を求めて修道士が懺悔話に興奮して人妻や娘を犯した。
あるいは男娼や稚児がかなりの数で潜んでいた。



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ソロモンの第3神殿建設か?

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ソロモンは古代イスラエル国家を打ち立てたダビデの子で、
在位はBC971~931年。ユダヤ人はそれまで移動式
神殿「幕屋」だったが、BC957年にエルサレムの丘に
固定された神殿建設に着手した。

神殿建設の棟梁は、ティロス島出身のフェニキア人・
ヒラム・アビブ。彼はフリーメーソンの祖として崇められ
ている。部下だった3人の職人に3発の打撃を受けて
殺されたらしい。メーソンの参入者は、3人の職人による
殺害を再演させられ、再生の時、古代エジプツの言葉で

「アマト・ネブ・メン・アマト・バア・アア」と唱える。
アマトとは、秩序ある、左右対称のという意味で、正義や
真実を表す言葉だという。

「アマトの支配者は偉大なるかな。アマトの霊は大い
なるかな」

だがソロモン神殿は、正統ユダヤ教徒の神・ヤハウエでは
なく、地母神アスタルテ(イシュタル)に捧げられたもの
だった。ソロモンの雅歌は女神アスタルテへの賛歌である。
古代オリエント世界の地母神信仰はやがて、聖母マリア
へと受け継がれてゆく。旧約聖書の骨格が、ヤハウエと
地母神女神の闘争であるにもかかわらず。

BC586年、新バビロニアのネブカドネザル2世が、ユダ
王国を攻略し、王と民衆を捕虜としてバビロンに連行した。
バビロン捕囚である。ソロモン神殿は破壊された。
BC587年に許されて帰還するまでの間に書かれたのが、
「世の終わる前に神殿は再建される」と預言したエゼキ
エル書である。

帰還した人々はBC535年神殿再建に着手した。第2神殿
である。古代イスラエルの地はその後、アレキサンダーや
プトレマイオス朝エジプトが支配した後、BC63年から
ローマ帝国の支配下に入る。ユダヤ社会はヘロデ派が支配
した。AD70年ローマ帝国に対するユダヤ戦争勃発。エル
サレム包囲戦の際、第2神殿も破壊された。それ以降現在
に至るまで、ソロモン神殿は再建されていない。だが
ユダヤ人にとって究極の悲願は、第3神殿の再建なのである。

現在エルサレムの神殿跡地である岩のドームには、イスラム教
の神殿が建っていて、イスラエル政府といえども容易に手出し
出来ない状態にある。もしここに手出しすれば、イスラム教国
全てを巻き込んだ戦争に発展することは避けられない。だが
政治的・経済的に強大な力をもつフリーメーソンたちならば、
あるいは2014~2015年の間にこれを強行するかも
しれないという噂が広がっている。

なぜ今なのか? 答えは天のしるし=神の啓示=預言の実現に
ある。日食と月食はしょっちゅうあるが、ユダヤ祭礼の日と
複数回重なる年はそう多くない。問題はその年に何が起こったか
という事。8回重なったAD32~33年にはイエスの磔。
7回重なった1948年にはイスラエル建国。9回重なった
1967年には第3次中東戦争でイスラエル軍エルサレム
占領。さて6回連続で起こる2014年は? という話なる。


シャルシルのノートルダム大聖堂

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大ヤコブは兄弟のヨハネと共に、ガリラヤ湖の漁師だった。イエス
の弟子になってからは、常にイエスの傍にいた。12使徒になって
からは、エルサレム教会の中心人物になったが、ヘロデ・アグリッパ
2世に迫害され、AD44年3月25日に斬首された。スペインの
伝承によると、遺体は7月25日にスペインのコンポステーラに
移され、12月30日に埋葬されたという。

墓はサラセン人の侵入によって行方不明になったが、813年野原
の上に1つの星が現れ、それに導かれた羊飼いが野原の隅にあった
洞窟の中にヤコブの墓を発見。アストゥリアス王国のアルフォンソ
2世(在位792~842年)がその上に教会を建て、門前町は
カンブス・ステラエ(星の野)=コンポステーラと名付けられた。

サンティアゴ・デ・コンポステーラはフランスからピレネー山脈
を越えて訪れる巡礼の道となった。巡礼路はパリや南仏アルル~
モンペリエを起点とする道が4つある。パリの道の途中に
シャルシルのノートルダム大聖堂がある。シャルトルは本来
ケルト人カルニュート族の首都にして聖地としてドルイドの
儀式が行われていた。

1134年、突如としてゴシック様式によるシャルトル大聖堂
北塔の建設が始まった。聖堂地下にはドルイドの聖なる泉(古井戸)
と黒マリアが祀られている。

神学者の聖ベルナールはシャルトルの司教に熱心にゴシック
様式の本質を説いたという。

「神とは長さ・高さ・幅であり、聖堂の装飾は不要。比率だけが
 重要である。」

これは神秘図形の奥義に通じる、フリーメーソンの教義である。
表のキリスト教史では、ゴシック様式の出現を説明出来ない。
学問禁止の暗黒の痴呆社会での建築は無理だ。

そもそもシャルトルという土地は、シャンパーニュ伯の所領
だった。シャンパーニュだった。テンプル騎士団を創設した
騎士のユーグ・ド・バイヤンは彼のいとこ。ジョブロワ・ド・
サントメールら7人のシャンパーニュ出身の騎士と共に、
1119年の第1回十字軍の後に叔設立した事に始まる。本部は
古代フリーメーソンの本拠地・エルサレムのソロモン神殿跡の
宮殿。赤い十字の白い服に長剣と盾を持ち、表向きは回教徒と
戦ったが、裏ではシリアやトルコのグノーシス派神秘思想家と
つながっていた。守護聖人は洗礼者ヨハネだが、キリスト受肉
の思想は虚偽であり、十字架を踏みつける儀式があった。

戦後日本の学校教育/パブロフの犬

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今、明治天皇の玄孫として活躍中なのは、憲法学者の
竹田恒泰さんだが、もう一人、明治天皇の孫の中丸薫
という作家がいる。彼女はアリーメーソンやイルミナティ
など、裏世界の権力を暴くスペシャリストだが、日本の
戦後教育についても、大変興味深い事を書いている。

「特定のパラダイムが社会を支配するのは、その
パラダイムが正しいからではなく、単に有力者や権威者、
闇の権力者からお墨付きが得られ、正しいと設定されて
いるからにすぎない。財団、教育機関、マスコミ、政府
や研究所といった機関の背景には、闇の権力者には絶対
逆らわないという合意がある。

究極の奴隷制とは、家畜に自身を奴隷だと気付かせない
システムである。このシステムにおいては、家畜は囚人
であると同時に看守であるから、自由に考える人は迫害
に遭うことになる。今、私たちがいる社会はまさしく
そうなっている。人々がそれに気づいていないのは、
マインドコントロールされているからだ。マインドコント
ロールとは洗脳、つまり一種の刷り込みであり精神支配
である。

そして闇権力による精神支配は、この世に生をうけた段階
から始まるように仕組まれている。家庭にしろ学校教育に
しろ、まさにマインドコントロールの場と化しているので
ある。日本社会においてそれが急速に進展したのは、
戦後教育によるところが大きい。敗戦後日本が導入した
教育制度は、ジョン・デューイなる人物が構築したもので
ある。デューイは米国人であるが、ロシアまでわざわざ
出かけて行って、パブロフの犬の条件反射をいかに教育に
適用するかを研究した。日本の学校教育には、この実験が
最大限に活かされている。

情報量がやたらに多い詰め込み教育は、思考能力を抹殺する
のに効果的だ。情報が多ければ多いほど、疑問を抱く余裕
はなくなるからだ。こうして思考能力を抹殺され、○×思考
によって生徒たちは家畜的な従順さを徹底的に叩き込まれ、
いわれた通りにしか行動出来ない人間ロボットが大量生産
される。端的に言えば学校の試験とは洗脳の測定であり、
教師の採用試験は、子供たちを洗脳するのに適格かどうか
の判定なのだ。それこそが戦後教育の真髄で、日本人の
恒久的家畜化の基礎なのである。

こうした環境にあって、人間性の萌芽のある子供たちが登校
を拒否しようとすれば、無知な家畜的な親によって強制的に
学校に追いやられる。両親は自らの人生観を受け入れる
ように、子供たちを方向づける。そのような教育を受けてきた
人間は、とことん物質的価値観に支配される。一世代の考え
方を条件づければ、次の世代もそうなることはパブロフの犬
が証明しており、実際いたるところで奴隷の子が奴隷に仕立て
られるという悪循環が続いている。」

人間の意識を操作する方法

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「自分の人生の中で自分が興味を持っている分野が
だいたい自分の大事な過去生とつながっています」と、
宇宙意識バシャールは語る。


私の過去生を語るエピソードがいくつかある。1つは
夏休みの絵日記の宿題で、私は山を茶色く塗り、母から
「よく見てみなさい。山は緑色でしょ」と叱られた事だ。
どうやら山は茶色だという観念が根深くあったらしい。

もう1つは高校入学直後、教室で無料の新約聖書が配ら
れた。私はその本に湧き上がる怒りを覚え、自宅の部屋で
床に叩きつけて投げ捨てた。それまでロクに聖書など
読んだことなどなかったのだが。これのせいでどれだけ
多くの人々が殺され、拷問されてきたことかという思い
だった。そらに振り返ってこの時の感情を分析してみると、
「この書はイエスの教えを愚弄するものである」という
思いがあった。事実聖書にはさまざまな捏造があることが
分かった。私は宗教的とは言えない家庭で育ち、現世で
キリスト教を憎むトラウマがあるとはどうしても思えな
かった。

小説「アストラルの森」の執筆は、当然私の個人的無意識
から人類の集合的無意識へと下降していった。すると顕在
意識では考えもしなかった過去生に関すると思われる情報
が浮かび上がってきた。最初に設定したのは、寺西真梨と
金刺(かなさす)弥生を私のアニマとイメージした。真理
には性に対するトラウマを、弥生には十字軍にわが身を
犯された上に殺され、わが子を串刺しにして焼かれると
いう、史実に基づいた役を与えた。



執筆中に湧き上がる怒り、憎悪の感情は想像以上のもの
だった。そうした無意識の感情を吐き出して公言することで
カルマを解消しようとした。だがそれだけでは完全に消滅
したわけではなかった。エドガー・ケーシーによれば、
心臓病・動脈硬化・胆石・視力の減退などは、憎悪・怨恨・
憤激などの感情に由来するという。私も労作性狭心症、
胆石除去、白内障の手術を体験することになった。
私のキリスト教に対する無意識の怨念はすさまじいもの
だった。

だがこの関門を通過しなければ、私の過去生のトラウマを
意識化し、禅の悟りを経て、ルシファーが仕掛けた「原罪」
や「救世主」という観念の罠から脱することは出来なかった
だろう。私は執筆中に、人類が救済されるとはどういう
ことかを考えざるを得なくなった。私のハイアーセルフは
端的に答えてくれた。

「誰が救われていないと言っているのだ?」


韓国には親日罪という罰則がある。反日のテロリスト
が英雄視され、捏造された歴史の反日教育によって、
子供たちまで平気で日の丸の国旗を燃やして喜ぶ絵を
描く。彼らは国の情報操作と教育によって考え方、
志向、行動を入力操作(プログラミング)され、視界も
思考も判断も限定された価値観に餌付けされた中で
生きている例である。

日本のニュース報道などで、誰かが死ぬと「安らかに
御眠りください」と言う。これは何も死後生の事まで
洞察して言っているわけではない。単なる慣用句である。
つまり死生観など「何も考えていない」のである。
だがこの「眠る」というキーワードによって、人々の
無意識には「人は死んだら眠るのだな」という観念が
刷り込まれてゆく。

「大衆」とか「庶民」という言葉がある。これらの反対語
は「支配者・特権階級」という存在が浮かび上がる。だが
私たちはそこまで考えずに、半ば無意識に「私たちは平凡
な庶民の1人」であることを受け入れている。だからたとえ
何十億人だろうとも、人間を支配するのはさほど困難では
ない。古代から人間の意識を操作する方法がある。鍵となる
言葉や文章、音、色、象徴を用いて情報を管理統制・宣伝
して遠隔操作するのである。

太古からの叡知は「私たちは何者か? 私たちはどこから来た
のか? 綿とたちはこの星で何をしようとしているのか?」
という人間の基本的真実を明かしてくれる。だがルシファー
とアーリマンに属する者たちは、彼らにとって都合のいい
情報を与えて「人間ども」を管理・支配してきた。現在に
残る代表的情報は、旧約聖書創世記の失楽園神話」であり、
「原罪」という思想である。

最初の世代はそれを「善き教え」として子供に伝える。子供
たちは孫を正しく導くために教えを伝えてゆく。この蓄積が
5000年にも及ぶと、もはや人間の意識も無意識も限りなく
神から分離し、自分の存在感を掴めぬまま漂流し続ける事に
なる。恐怖と罪悪感のドグマに支配され、自らもその信念と
信仰にしがみつくのである。ルシファーは人間の支配欲を
挑発し、アーリマンは物欲で魂を縛り付ける。


原爆投下とフリーメーソン

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原爆投下をフリーメーソンというキーワードから読み
解いてみる。フリーメーソンメンバーの米国第26代
大統領、フランクリン・ルーズベルトは、科学者
オッペンハイマーをチーフとする原爆開発チームを編成し、
20億ドルの予算を投入した。彼には全員ユダヤ系の
私設顧問団が存在し、彼らの承認なしにはいかなる重要
処置も、重要メンバーの任命も行えなかった。

大統領補佐官のバーニー・パルークは、ニューヨークの
株式相場師。フェリックス・フランクファーターは、
ニューヨーク連邦最高裁判所判事という具合である。
ルーズベルト内閣の国務長官、コーデル・ハル・テネシーや、
財務長官のヘンリー・モーゲンソーはユダヤ系。後に原爆
投下の決定権を持つ陸軍長官、ヘンリー・スティムソンは
ロスチャイルド系銀行の顧問弁護士だった。つまり
フリーメーソンの極秘伝承までもを知る立場にあった。

ルーズベルトの急死を受けて大統領になったのが、フリー
メーソンメンバーのハリー・トルーマン。彼には日本への
原爆投下命令の決定権があった。投下目標には、通常の
空襲を行っていない街が選ばれた。最初の第一目標は京都。
中間委員会の決定を覆して強硬に反対したのが、陸軍長官
スティムソンである。もし彼がフリーメーソンの極秘伝承
を知る立場にあったのなら、雑多なのアングロサクソンの
ように東のエルサレムである平安京を破壊出来るわけがなかった。

原爆投下には2つの意味があった。1つは原爆の効果を調べる
事。通常こうした方法を「実験」と呼ぶ。2つ目はソビエト
連邦(現ロシア)の独裁者スターリンに対する威嚇である。
実際北海道をよこせと言ってきたスターリンの要求をはねつけ
られたのは、原爆のパワーバランスを利用したトルーマンの
外交的勝利と言える。


日本の敗戦後、連合国最高司令長官として日本を支配したのは、
フリーメーソンメンバーのダグラス・マッカーサー元帥。彼は
マスコミを掌握してプレスコードを設け、原爆や米軍兵士の
犯罪などを一切報じさせなかった。国民に自虐史観を植え付け、
マスコミと教育を通して洗脳していった。

「とりわけ教育を独占しよう。われわれに役立つ思想を広め、
子供たちの頭をわれわれに合わせよう。
     (ラビ・ライヒホルン1920年重大演説要旨)」


日本政府と軍部がポツダム宣言の無条件降伏で最後まで
こだわったのが「国体の護持」。つまり天皇制存続について
であった。米軍では昭和天皇を闇から闇に葬ることを決めて
いた。天皇陛下は殺される運命にあった。昭和天皇は通訳
1人を伴ってマッカーサーと対面した。最初マッカーサーは
命乞いに来たのだろうくらいに思って、椅子に座ってパイプ
を咥え、尊大に構えていた。

昭和天皇は彼に対して「私は絞首刑を含むあらゆる極刑の覚悟
は出来ている。だが8000万人の国民は住む家もなく、着る
服もなく、食べ物のも事欠いている。閣下のご恩情にお縋りし、
なにとぞ国民の窮状をお救い願いたい。」

マッカーサーは「これが天皇というものか」とその威厳に感動し、
「陛下は興奮しておられる。コーヒーをお出しするように」
と部下に命じたそうだ。個人的感慨は別にして、政治的には
戦勝国の将軍と敗戦国の王という関係にある。天皇の立場は弱い。
マッカーサーは昭和天皇に、フリーメーソンの会員になる事を
勧めた。だがそれには応じなかった。それはなぜなのか?
あまり語られることはないが、天皇はフリーメーソン33階級
よりも格が上、あるいは別格なのである。



天皇陛下の尊さ

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百田尚樹著の小説で映画化もされた「永遠の0」。
ゼロとは大日本帝国海軍が世界に誇る主力艦上戦闘機
「ゼロ戦」の事。零銭は1940年(昭和15年)に神武天皇
即位・皇紀2600年を祝った年に制式採用されたのを記念した
末尾0にちなんでいる。

神武天皇は戦う天皇として象徴的かつ神話的な存在だが、
10代応神天皇から現在の今上天皇陛下まで、革命(共和制)
を経験せず万世一系の祈る天皇として世界最古の君主として
唯一存在し続けている。現在君主国は26.うち人口300万
以上の君主は、3900万人のスペイン、5800万人の
イギリス、6200万人のタイ、そして1億3千万人の日本
しかない。

世界から天皇は唯一「エンペラー」と呼ばれている。権威
ある順で、次が法王。そして王様・女王、大統領、首相と
いう順位になる。天皇陛下は神道の法王とも言えるので、
ぶっちぎりの権威という事も言える。

日本人を知りたければ京都御所を見なさいと、外国人
観光客に勧めたい。平安時代初期の桓武天皇の平安京遷都
から明治維新まで、天皇のお住まいだった。そこには高い
城壁も広い堀もなく、見張りの天守閣もない。乗り越えよう
と思えば簡単に越えられる土塀に囲まれた、質素とも貧相
とも形容出来る宮殿なのだ。それが堅固な城壁に守られた
欧米の王宮群をさしおいて、存在し続けているのである。
王は偉さを演出して民を支配する関係だったからだろう。

振り返れば応神天皇の第4皇子、第16代仁徳天皇の逸話
を思い出す。仁徳天皇は人家の竈から煙が立ち上っていない
ことから人々の困窮を悟り、租税を免除した。天皇は国民
の安寧を祈り、国民は尊い存在として支え合う。君民一体
の国民性が長い時の中で育まれていったのだろう。尊い
から権威が生まれる。敗戦後、昭和天皇は2年をかけて
日本全国を御巡幸なされた。普通敗軍の王は殺害されるか、
それを恐れて亡命するかが定めと言える。ところが日本
国民は昭和天皇に日の丸の小旗を振って歓迎し、励まし、
誰一人石1つ投げつけなかった。


日本国民のだれもが今上天皇陛下が尊い・ありがたい
存在と感じたのは、阪神大震災や東日本大震災で被災者
を見舞われた時の御姿だっただろう。被災3県の敵・
民主党の首相も来たらしいが、罵声が浴びせられたらしい。
「日本沈没」「震災万歳」と報道して恥じる事のない
下種な国韓国と仲良しだった投手だけのことはある。


さらにインターネットの普及で、普通の国なら婦女暴行・
略奪・強盗・放火・暴動が起きるような大震災の惨状に
際して、誰もが助け合いながら整然と並んでいた姿が
配信され、世界の人々を感動させた。日本では当たり前
の道徳や礼節が、実は素晴らしい事だったのだと、日本人
が気付いた事だろう。


セム系フリーメーソン国家

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「野心と虚栄に満ちたキリスト教世界の君主たちは、
奢侈と多数の軍隊に包まれている。われわれは彼らが
愚かにも求めるすべての金銭を当てがってやり、彼ら
を束縛しておこう。

われわれはキリスト教徒の誇りに訴え、愚かしさに
つけこんでキリスト教徒同士で戦争を行わせよう。
彼らは互いに殺し合い、われわれのための道をきれいに
しておいてくれるだろう。

過去長きにわたってイスラエルの民は、さげすまれ迫害
をうけながらも、権力の道を切り開くべく努めてきた。
彼らは正しかった。今では彼らは忌まわしいキリスト教徒
どもの経済生活を支配するに至り、彼らの影響力は政治家
に勝り、風俗・習慣をも凌ぐ。

(ラビ ライヒホルンの追悼演説+重大講演要旨より) 」


ユダヤ人が敵視するキリスト教世界では、秘密結社フリー
メーソンやイルミナティを悪魔崇拝の集団だと、大々的に
宣伝した。確かに秘密結社内最高幹部たちが歴史上
繰り広げてきた世界支配・スーパーガバメント樹立の
陰謀工作は、悪魔的と言えないこともない。彼らは
白人系ユダヤ人・アシュケナージが主体となり、非ユダヤ人
ゴイムを奴隷化しようと画策しているからだ。アシュケ
ナージはドイツやロシアで虐殺された、非セム系異民族で
ある。8世紀に国ごとユダヤ教に改宗したためユダヤ人
を名乗った白人コーカソイドである。現在のイスラエルも
80%はアシュケナージである。


だが旧約聖書「ノアの方舟」の主役ノアから祝福された
セムとその子孫たちが、本来のユダヤ人なのである。
セム系民族は、アラブ人、シリア人などと日本人などの
有色アジア人種である。アブラハム、モーゼ、イザヤ、
イエスキリストへと繋がる預言者の系譜なのだ。これを
スファラディ系ユダヤ人と呼ぶ。特に日本の神武天皇は
古代イスラエルの失われた10支族のうちガド族である
可能性が高いと言われている。ミカドとは、カド族出身
の者という意味である。スメラミコトはヘブル語の
アラム方言で、北イスラエル王国の首都だった「サマリア
の大王」の意味。東方の日の出ずる国は、ヘブル語で
「ミズホラ」。こうした例は笑えないほど数多くある。

古代エジプトが過去から受け継いだ叡知を伝承してきた
古代フリーメーソンのシンボルマークは、直覚定規と
コンパス。この道具を用いて作成出来るシンプルな旗が
ある。「日の丸」である。


エッセネ派と洗礼者ヨハネ

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ユダヤの神ヤハウエから十戒を授かったモーゼは、
口伝で語り継ぐ戒律・トーラーを伝えた。トーラーの巻物を
日本では「虎の巻」で話が通じる。これに代々のラビ口伝を
加えたものがタルムードである。そのタルムードにエジプト
出身のイエスについての記述がある。

「イエスはエジプト魔術の伝達者=呪術師=悪い行い
 として裁かれた」


イエスの母マリアは、エッセネ派の祭司の娘。父ヨセフは
エッセネ派のナガー(アラム語の学者)だった。エッセネ派は、
大祭司を世襲していたザドク家の精神を受け継ぐ宗教的
エリート集団で、ハスモン朝がザドク家出身者以外の者を
大祭司に任命した事に抗議して死海北西部砂漠の丘陵地帯・
クムランに隠凄した集団である。エッセネ派はユダヤ教の
一派とされているが、死海文書から見えてくる教義は、
天上の主・メルキゼデブ(マイトレーヤ)が、世界最終戦争で
悪と戦うというものだ。つまりミトラ教と言っていい。


○ミトラ・バール神


http://blog.livedoor.jp/kame3328/search?q=%A5%DF%A5%C8%A5%E9%A1%A6%A5%D0%A1%BC%A5%EB%BF%C0


イエスがエジプト・アレキサンドリウアのエッセネ派関連
施設で修行していた事に異論はない。後の伝道での病人の
癒しは、エジプト魔術に熟達していたことが伺える。ユダヤ人
の教養として、律法も学んでいたが、イエスの教えはとても
ユタヤ教徒ではない。イエスの教えの根幹は、ローマカトリック
が異端としてヒステリックなまでに批判したグノーシス思想
に近い。彼らは宇宙の叡知・ヌースに目覚めた者全員を
キリストと称した。シュタイナーの神智学的に従えば、
自らの内なるキリスト意識に目覚めた者という事になる。


○古代エジプト魔術


http://blog.livedoor.jp/kame3328/search?q=%B8%C5%C2%E5%A5%A8%A5%B8%A5%D7%A5%C8%CB%E2%BD%D1


エジプト魔術となると、マグダラのマリアを語らないわけ
にはいかない。以前「ハトホルの書」を世に送り出したトム・
ケニオンが著した「マグダラの書」によれば、彼女は12歳
の時、ホルスの錬金術とイシスの性魔術を学び始めたという。
ホルスの錬金術は7つの呼吸によって肉体を活性化して、7つ
のチャクラを開くヨーガの技法である。

イシスの性魔術は、性交渉のオーガズムを利用してクンダリーニ
を上昇させるタントラ・ヨーガの技法である。マリアの導師は
洗礼者ヨハネだったという。だがヨハネの死後、彼女はイエス
と結ばれる。ハレスチナ領主のヘロデ・アンティパスの誕生日の
宴席で娘のサロメが見事な踊りを披露し、褒美は何がいいかと
問われた。彼女は「ヨハネの首」を所望したと、マルコによる
福音書にある。この時彼女は22歳前後。イエスの信者だった
らしい。ヨハネ殺害の裏にイエスの意志があったかどうかは
何とも言えない。エッセネ派内部にヨハネ派とイエス派が
あったのは事実だが、協力関係にあったようだが、何せ革命家
的イエスの性格ならば、エッセネ派内のクーデターであった
とも考えられる。ヨハネ派のマンダ教にはヨハネの妻マリアが
愛人(イエス)と逃亡したという記録がある。ヨハネ派はヨハネ
こそが真のキリストであり、イエスは偽預言者だとして
蔑んでいる。


マリアはイエスの子・娘サラを産み、サラはテンプル騎士団の
男と結婚したという。テンプル騎士団ではヨハネとマグダラの
マリアが「聖婚の儀式を完成させた者」として崇拝されていた。
テンプル騎士団を受け継いだイルミナティは、キリスト教を
不倶戴天の敵として、フランス革命などの謀略を繰り広げてゆく。


○マグダラの書内容紹介


http://plaza.rakuten.co.jp/ommanipadmehum/diary/200704060000/


原始キリスト教/エルサレム共同体

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マグダラのマリアはイエスの復活を最初に目撃した。
この事実から2つの事がわかる。1つはマリアが高度な
霊能者であり、イエスの内なる真のキリスト意識(魂)を
見る事・聞く事・対話が出来た事である。もう1つは
イエスも彼女の能力を十分に認識していた為、復活の
目撃者として選んだということである。つまり彼女は
生前からイエスの魂と対話していたことを物語っている。

話は前後するが、イエスはユダヤの慣習に従い、マルコ
の妹・ベタニアのマリアと形式的に結婚していた。イエス
はエルサレム入城の前に、彼女から塗油の儀式を受ける。
油を注がれた者はイスラエルの王、すなわちダビデの
ような救世主だった。彼女はイエスを王にする為に儀式
を行い、イエスもそのつもりで受けた。正統派ユダヤ教
ならば、塗油は男性預言者が行う業である。つまり
エッセネ派は異教的という証明にもなる。

エルサレム入城後、弟子たちの前にマグダラのマリアが
現れ、同じように塗油の儀式を行った。見た目ではベタニア
のマリアと同じような儀式だが、その意味合いはまるで
違っていた。彼女が行ったのは「埋葬の儀式」だった。
肉体のイエスが死に、真のキリスト=天の大王の復活の為
のものだった。

やがてイエスは捕えられ、弟子たちは四散する。磔の時、
イエスは言う。

「私は3日で神殿を再建する」

マグダラのマリアは弟子たちにイエスの復活を説いた。
実際に目撃した弟子たちもいた。彼らは改心し、義人ヤコブ
を頭領とするエルサレム共同体をつくり、寝食を共にしながら
自らの修行と伝道活動に明け暮れた。ユダヤ教を偽装し、
ファリサイ派を改宗させた。伝道はインドや中国にまで
及んだ。

彼らは復活したイエスの魂をどのように理解していたのかが
問題となる。彼らは世界最終戦争ハルマゲドンで悪と戦う
天上の王・ミトラ(マイトレーヤ)と解釈していたようだ。
だから地上ではローマ軍を追い出し、イスラエルを再建する
革命を夢見ていた。

AD66年ローマ軍との間で、第1次ユダヤ戦争勃発。AD70年
にエルサレムが陥落するのだが、エルサレム共同体は神の
お告げによって、陥落直前全員がガリラヤ湖東方のヨルダン川
東岸都市「ペラ」に移住してしまうのである。ところがこの後
歴史的記録から消滅する。死に絶えたわけでないとなると、
どこかに移動したことになる。それがシルクロードを経て
日本に帰化した秦氏一族の中枢メンバーだというのだ。
ユダヤ教を偽装してファリサイ派を取り込んだ、本質が
ミトラ教のエッセネ派であるエルサレム教団。長い道中と、
200年ほどの時を経ての来日だけに、パウロ率いる
東方正教会の信徒も巻き込んだだろう。

ユダヤ人秦氏の渡来

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日本書紀によると、秦氏が日本に渡来したのは、
応神天皇14年の283年の事。シルクロードの
オアシス都市・ホータン(巨丹こたん)は、現在の
中国・新疆ウイグル自治区。綿や絹を生産する秦地
だった。ローマ帝国と漢(中国)の交易品を扱う商人は、
ユダヤ人が独占していた。内モンゴルの景教寺院からは、
ユダヤ教エッセネ派の文書が発見されている。

AD70年にエルサレムがローマ軍によって陥落し、
ソロモン神殿が破壊されてから、ユダヤ人は国を失い、
世界に離散した。そして100~300年にかけて、
かなりの人数が中国方面に流入した。ローマ帝国=大秦
から来た民族なので秦と呼ばれた。

秦は今は「ハタ」と濁り無しで読むが、来日当時は「ハダ」
だった。ユダヤ人の事をヘブル語でもアラム語で「イェフダー」
と言う。秦氏は自らユダヤ人と言っているのである。
秦氏が九州に上陸して創建した神社が、大分県の宇佐八幡宮。
全国八幡神社の総本山である。八幡は「ヤハダ」。意多くの
秦氏という意味である。秦氏を迎え入れた応神天皇は、
宇佐八幡宮の池に入って、出てきたら幼子のようになっていた
という伝説がある。おそらく洗礼の禊ぎによって罪穢れが
除かれたちいう象徴的寓話なのだろう。


120県(あがた)というから、約10万人の大移民団
だった。率いたのは弓月の君。ホータンの西、アラル海
に注ぐオクサス川流域に、アレキサンダー大王が
バダクシャン山から採れるラピスラズリの独占を狙って
造った植民都市があり、「アイ・ハヌム遺跡}として
残っている。アイはトルコ系ウズベク語の言葉で月。
ハヌムは女性への敬称で君or姫。アイハヌムは月姫or
月君。弓月君もひょっとしたら巫女的存在だったの
かもしれない。

また日本神話イザナギの冥界下りとギリシャ神話
オルフェウスの冥界下りの類似を考える時、ギリシャ人
植民都市が数多く存在したこの地方を抜きにして考える
ことは出来ないだろう。

綿や絹の織物が本業なので、全国の拠点地は現在でも織物
が盛んな土地柄である。山城国(京都)の西陣。関東では
大秦野、八王子、飯能、桐生、秩父、足利、福島、信州高遠
などである。そして中枢の根拠地は山科国の太秦(うずまさ)。
漢字ではどう読んでもウズマサとは読めない。ヘブル語で
ウズは「光・東・開花・文化。 マサは「貢物。賜物」の
意味である。アラム語でイエス・キリストは「イシュ・メシャ」
東方へ転訛して「イズ・マシ、ユズ・マシ、ユズ・マサ」と
なったのだろう。太秦の広隆寺には、ミトラ教の本尊・
マイトレーヤ=弥勒菩薩像が安置されている。


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