Quantcast
Channel: 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
Viewing all 176 articles
Browse latest View live

天照大神の岩戸隠れ

$
0
0

伊勢神宮は第10代崇神天皇の6年、大和国に疫病が
蔓延したので、禍を鎮めるために、それまで宮中に
祀っていた天照大神のご神体「御霊代みたましろ」を、
豊鍬入姫命という斎宮(巫女)に託して、大和国笠縫邑
(かさぬいむら)に移したと日本書紀にある。笠縫寺
は、秦氏の氏寺である秦庄の秦楽寺境内にある。ここが
伊勢神宮の原点というわけだ。

古事記・日本書紀が編纂された時、女神になった
天照大神だが、それ以前は「天照国火明櫛甕玉饒速日命
(あまてるくにてるひこほのあかりくしみかたま
にぎはやひのみこと)」という名の男神だった。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は、秦氏渡来以前から
大和を支配していた有力豪族・物部氏の祖神である。
別名アマテルオオカミ。瀬織津姫と一対の龍神である。

天照大神で最も有名な神話は、言うまでもなく「岩戸隠れ」
の逸話である。スサノオの暴虐にあきれ果てたアマテラスは、
岩戸に「隠れて」しまい、世界が暗黒に閉ざされる。女神
アメノウズメが岩戸の前の神々の前で裸踊りを乱舞し、
アマテラスが何事かと少し岩戸を開けた時、手力雄神が
岩戸を開いてアマテラスを引きずり出すという粗筋である。

日本では天皇陛下がお亡くなりになると、「お隠れになる」
と表現する。つまりアマテラスも一度死んだのではないかと
考えられる。原始キリスト教徒の秦氏が、男神アマテラスが
死して後復活する話となると、示す人物は1人しかいない。
イエス・キリストである。復活を見届ける性的女神アメノ
ウズメは、さしずめマグダラのマリアだろう。

このイメージを裏付けるように、「ホツマツタエ(秀真伝)」
という成立年代不詳の神話の主神・アマテルには、12柱
の妻がいたと記されている。だが記紀の編纂を命じた
藤原不比等は、物部氏の祖神ニギハヤヒを徹底的に封じた。
女神になったアマテラスにとって、絶対にいてはならない
女神がいる。ニギハヤヒと一対の女神・瀬織津姫である。
ローマ・カトリックでマグダラのマリアを封印したように。



アマテル神の「イセの道」

$
0
0

古事記・日本書紀・旧事記・古語拾遺を古典四書という。
一方で、アカデミズムからは外伝扱いされている古伝四書
というものがある。カタカムナ文献、三笠紀(ミカサフミ)、
ウエツフミ、そしてホツマツタエ(秀真伝)である。

ホツマツタエは古事記・日本書紀以前の古神道を語る唯一
の文献で、ヲシテ文字(神代も字)で記された五七調歌体
全40アヤ(章)から成る。126年景行天皇時代に編纂
され、三輪神道が秘かに伝承してきたという。内容は
宇宙の始まり(アメツチノハジマリ)からカミヨ(神代)の
時代、人皇ハジマリ、カンヤマトイワレヒコ(神武天皇)
から12代後の、ヲシロワケ(景行天皇)57年までが
記載されており、古事記・日本書紀の原典とも言われて
いる。

この中では伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神が、タカミ
ムスビ=トヨケ神として登場し、孫のアマテル神を丹後国
宮津の真名井に呼んで、道の奥(ミチノク)=道の奥義を
伝授した。丹後国宮津の真名井には、本伊勢=本当の伊勢
神宮とも言われる「籠(この)神社」で豊受大神)、イザナギ・
イザナミ神を祀る「真名井神社」がある。境内には籠目紋
(六芒星・ダビデの星)を描いた灯篭があった。籠神社の祭司・
海部氏族は皇室の先祖に匹敵する家柄で、秦氏が乗っ取る
までは物部系であった。丹後王朝は出雲王朝と共に、龍蛇
を信仰する国津神系神社だった。


道のミとは接頭語の「御」。チは血・地・父・乳・霊)、
つまり肉体と霊、存在するものの根源を示している。
道の奥とは、イモ(妹=女)とヲセ男背=男)が愛し合う
「イセの道」だった。縄文時代は男根石棒は生殖と繁栄
のシンボルで、大いなる1(イタ)=幹(キ)、杵(キネ)、
カミ、、プル、ハジメなどと呼ばれた。プルが膨張する
様をフルという。極限に達してタリ(足)、ミチタリ
(満ち足り)る。女陰は川(シャク)=3に例えられる。
プルとシャクが2(男女)で性交・妊娠・出産を繰り返す
限りない生存の持続が永遠の生(ミシャクリ)であった。
川の女神は瀬織津姫である。


この神の原理は、古事記にもきっちり踏襲されている。
宇宙の根源神は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。
父性原理はタカミムスビノカミ。母性原理はククリ
ヒメノカミ。縄文文明1万年にわたって信仰されて
きた国津神系の神である。


伊勢神宮には本伊勢がもう1社ある。内宮よりも成立が古い
伊雑宮(いぞうのみや)である。1671(延宝7)年、伊雑宮
の神庫から、聖徳太子が編纂したとされる、皇室の先祖を
記した「先代旧事本紀大成経72巻」が発見された。そこ
には伊雑宮の寺格は本宮より上と記されていた。発見者・
永野采女(男)は流罪となり、出版はただちに禁止された。
つまり藤原不比等が封印した、国津神系の天皇家の神話
だったからだ。伊雑宮にはアマテル神と一対の龍神(水の
女神)・瀬織津姫が祀られていた。ちなみに伊勢神宮の
内宮・外宮・伊雑宮三社殿の延長線上に籠神社がある。


PR: みんなでつくろう!安心の街 地域安全活動-政府広報

$
0
0
全国各地で住民が自主的に様々な地域安全活動に取り組んでいます。詳しくはこちら。

シリウスの女神・瀬織津姫

$
0
0

2013年20年に一度の伊勢神宮遷宮と、60年に
一度の出雲大社遷宮が、歴史上初めて重なる年となった。
本来ならば20年と60年のサイクルならばどこかで
重なりそうなものだが、戦乱などの理由でどちらかが
遅れさせたりした為、重ならなかったそうだ。2013年
の意味とは、天孫族が祀る天津神と、国譲りして裏に
回った出雲系国津神が和解+結婚する儀式だと言う。
今まで裏(陰)に隠されていた秘密が暴かれ、表に出て
来る時代の始まりなのである。


近年かなり脚光を浴び始めたホツマツタエのアマテル神
や、一対の龍神にして縄文の女神・瀬織津姫も、そういう
時代の潮流の現象なのだろう。瀬織津姫はシリウス系の
女神だという。シリウス女神は縄文のエネルギーの中に
隠されてきた。ムー文明(ナーガ・龍蛇信仰)は、太平洋に
存在したシリウス人種の入植地だった。出雲族はムー・
縄文・シリウス系龍族の霊性を受け継ぐ人々である。

古代エジプトではソティス=イシスの化身と呼ばれ、
瀬織津姫と同一神である。ソティスのシンボルは3つ巴。
ケルトの渦巻き文様であり、熊野大社社紋の3つ巴である。
イスラエルではマグダラのマリアとして降臨した。マヤ
神話では「水の貴婦人」と呼ばれている。女神のエナジー
はアクエリアス時代の女性意識を高く覚醒させる。マグダラ
の書でマリアは、女性イルミナティに必要な事を語る。

「安心と愛、感謝されているという信頼出来る感覚が
 揃えば、彼女の中の何かが解放され、錬金術が起こる」


伊勢神宮で天照大神が女神として祀られて以降、瀬織津姫
は、荒祭宮でアマテラスの荒御霊「八十禍津日神(やそ
まがつひかみ)」として祀られているが、それ以前は7割
近い神社で主祭神として祀られていた。災厄跋除の女神
であり、川の早瀬の穢れを清める女神、河の神、龍神で
あった。熊野神社、白山神社、厳島神社、奈良・三輪山の
大神神社、信州・諏訪大社、かつて六甲山全山を支配して
いた廣田神社、金沢の瀬織津姫神社、東京・多摩市の
小野神社と府中の小野神社、鳥取の桜谷神社、京都の
皇太神社、岩手の早池峰山や、秋田の田沢湖の女神でも
ある。

日本のナーガ(龍蛇信仰)

$
0
0

日本の霊性を語る時、やはり伝説のムー文明圏から
話を起こすのが適当だろう。眠れる予言者・エドガー
ケーシーは、人類最初の文明が芽生えたのは20万年
くらい前の超古代大陸としている。地球物理学者の
竹内均は、太平洋とインド洋に同語・同文化を共有
する文化圏が確かに存在することから、象徴としての
ムー文化圏を認めている。むろん日本列島もその一部
に含まれる。

現在語られているムー帝国は5万年前の太平洋にあり、
首都はヒラニプラ。氷河期時代の地球は、海面が今より
140m前後低かった為、太平洋の広大な低地は1万
2000年前に海没していったと思われる。

ムー人は10氏族から成っていた。カラ族は中央と
南アメリカへ渡り、カラ帝国を建てた。マヤ文明の
絵文書「トロアノ古文書」にも、兄弟たちは太平洋を
渡ってきたというムーの記述がある。
ウイグル族はバイカル湖の南に首都を置き、中国・
モンゴル・シベリアを開拓。チベットのラサ記録に
ムーが記されている。シベリアの寒冷化で日本に
渡ってきたアイヌ・縄文人のご先祖様も含まれて
いるだろう。ナガ族はビルマからインド方面に進出。
このナガ帝国の内戦はインド神話として語り継がれて
いるという。

ムーの聖典は「聖なる霊感の書」と言われ、インドの
ンズーヒ寺院に、ナーカル文書という粘土板に、複製
として残されている。ナーカルとは「聖なる兄弟」の意で、
母なる国ムーからインドにやってきた聖なる兄弟によって
記された碑文いうと意味である。

文書は「聖なる霊感の書」と言われている。内容は
天地創造と人類誕生の話に始まる。

「宇宙のははじめ、霊そのものだった。生命も音もなく、
あるのはただ静寂と空虚と暗黒のみだった。その暗黒の
底深くに、至上の霊にして偉大なる力そのもの、創造の
神たる7頭の蛇が動いていた」


これがムーの唯一の最高神・創造の蛇「ナラヤナ」で
ある。

続いてナーカル文書は語る。

「人は千年の寿命を持つことが出来る。その場合生き残る
のは神から授かった霊魂で、肉体は母なる大地に帰る。
霊魂は美神の第7の命令に属するもので、人間は地上を
支配する為にこの力を授かった。
人間は鍛錬次第で、どんな物質よりも大きな波動を、持続的に
生み出すことが出来る。大きな波動を発することを体得
すれば、前世を見に行くことも可能になる。」

アンコールワットのアンコールとは、ナーガルが訛ったもの。
守護神は7頭の蛇・ナーガ。日本でも旧石器・縄文の昔から、
広く神の使いとしての蛇、巨大なエナジーの龍が信仰の対象
だった。

山人

$
0
0

日本の国土は76%が山である。古代はさらに多かった
だろう。ヤマの「ヤ」は高きの義。「マ」は限り隔たり
ぬること、と大言海にある。山は神々が降臨する場だった。
物部氏祖・ニギハヤヒ神は河内国に天降った。天孫族の
祖+皇祖神ニニギの命は日向国高千穂のクシフル岳に
天降った。

天と地を結ぶ山々の巨石、神々の憑代(よりしろ)を
「磐座(いわくら)」と言った。熊野修験道の聖地・
神倉山のごとびき岩や、羽黒修験道の聖地・湯殿山の
磐座、役小角が蔵王権現を感得した金峯山の湧出岩
など、縄文時代からの聖地やピラミッドと噂される山
には必ず巨石がある。山はまた、死霊の戻る世界
でもある。

山は川の源流で、瀬織津姫の領域であり、「水分神
(みくまりしん)信仰の場であった。即ち農業と豊穣の
神、福の神であった。後に仏教が渡来し、インドの女神
サラスバティが弁財天となり、弁天様として信仰されて
いる。

実際問題としては、鉱石採掘と製錬の場であり、薬草採取
の場であった。長野県長門町の「鷹山遺跡群」は、標高
1500m地点にある75基の黒曜石採掘跡である。この
黒曜石を全国に交易する人々を含めて、古代から現代まで
「山人」が存在している。鉱山採掘の他、木地師、ロクロ師、
狩人、炭焼きなどの非農耕民である。

大和国葛城の土蜘蛛や神武天皇に敗れた長髄彦(ながすね
ひこ)」などがそれにあたる。山人は里人からは、鬼・
天狗・山男・山姥などとして恐れられていた。天狗界は
仏教的宇宙観から解放された世界であり、教義や戒律に
縛られることなく、自らの欲望や行動原理に従って自由
に闊歩出来る世界である。

山人が作り出す金属製農具や武具など、火を操って金属を
鍛える技術は、里人には理解出来ないものだった。暗い山
から見えるたたら場の火は、一つ目の妖怪「だいだらぼっち」
になった。

山は静寂と済んだ気、神霊の霊流があり、心気を鍛錬する
場にふさわしいとして、陰陽道(易)や道教をベースにして
修験道が興った。古事記によれば、雄略天皇が葛城山に
登山し、「一言主神」と出会ったのが最初だという。
役小角は巫術を用いて神霊と交流するチャネリングを
習得し、呪術によって病を癒し、幻術を用いて人の心を
心理的に操作する、いわゆる催眠術による「呪禁道(じゅごん
どう)」に励んだという。

シリウスの聖方位

$
0
0

瀬織津姫は古代エジプトのシリウスの女神ソティア
と同体だと書いた。だがシリウス信仰はコダイエジプト
だけでなく、オリエント世界全域に広がっていた。
BC550年アケメネス朝ペルシャの首都・ペルセポリス
の正面門は、東西線から20度南東に傾いて設計された。
これは冬至の真夜中のシリウスの位置を示す新年を告げる
聖方位なのである。

宗教はミトラ教とゾロアスター教。ペルシアの国教は
ミトラの太陽信仰が基本でありながら、しばしば
折衷的で暦はシリウスの観測を軸にしつつ「副太陽」
であるシリウスをも崇拝の対象にしていた。

キュロス王の先祖は、カスピ海沿岸のアーリア系騎馬民族
カッシート族で、メソポタミアのシュメール文化を受け
継いだアッカドや、アッシリアと同化してこの地方を統治
したが、BC1000年に国を追われて東国に「月氏」を
建国したらしい。

月氏は中国西域(甘粛省西部)に出現した最初の騎馬民族氏族
で、後に弓月君が率いて日本に渡来した秦氏の根拠地とされる
ホータンの軟玉を輸入し、中国に転売する交易を行って
いた。バクトリアのギリシャ人たちは、彼らをセレス(絹の民)
と呼んでいた。中国・秦は、彼らと絹を交易した。彼らの
騎乗弓術はアッシリア軍や中国の趙が採用した。

やがてトルコ系騎馬民族「匈奴」に追われて、アフガニスタン
北部の大月氏と、中国甘粛省西部の小月氏に分かれる。
漢の武帝はBC139年、大月氏への使者として張騫を派遣した。
都・大宛は米・麦・ぶどう酒・良馬(汗血馬)を産すると、
史記に述べられている。大月氏のクシャン部族がヒンドゥークシ
山脈を越えてガンダーラ、インドに進出。クシャン帝国を
打ち建てた。彼らはローマ帝国、漢の仲介者となった。

ミトラ教のマイトレーヤはガンダーラで弥勒菩薩となった。
ガンダーラ仏教と飛鳥仏教には多大なる共通項がある。
月氏のいくつかの部族は日本にもやって来た。葛城市と
蘇我氏だろうと言われている。葛木氏は大和国葛木を根拠と
する最古の古豪で、飛鳥宮もシリウス線を聖方位として設計
されている。また蘇我氏は常陸国霞ヶ浦一帯が最有力の
根拠地で、鹿島神宮もシリウス線を聖方位とする設計なので
ある。そして蘇我氏が信仰する神々ごと封じたのは、
藤原不比等である。



○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o


このたびアマゾンのKINDLEから「今昔玉手箱/妖・怪・奇編」
を出版しました。購入は↓↓ から
http://www.amazon.co.jp/-/e/B00GYN536S

PR: “知っておきたい”エボラ出血熱の基本情報-政府ITV

$
0
0
エボラ出血熱はどのような病気で、どのように感染するのか?など専門家が詳しく解説

オリエント海流/ニギハヤヒ・海人集団

$
0
0

古代王権の第1期は、ニギハヤヒを祖神と仰ぐ物部集団
25部族が、北九州遠賀川下流域から東征した海人(アマ)
族だと思われる。彼らはシュメールの流れを汲む
東南アジアのコウメイ族で、黒潮暖流に乗って北上し、
台湾、沖縄を拠点として、日本にも大量の米と弥生土器
をもたらした。赤ゴメはタイ・ビルマ・インドシナ方面
の米と同類である。クメ(コメ)は久米・久留米・熊・
亀と変化してゆく。

アマはシュメール語で母。ウムは海。転じて海人・海女
の意になる。海人アマトはヤマトに転訛した。海辺の町
ウルはウラ(浦)に転訛した。海の水の神はシュメールの神・
ティアマトである。南インドのタミール語を用いる
ドラヴィダ語族は巨石文化を持ち、東南アジアに支石墓・
石碑・石臼・かめ棺文化を広めていった。日本語と同じ
膠着語文法なのは、シュメール語、タミール語
チベット語とごく少数で、シュメール人の故地は、秦氏が
渡来したシルクロードのオアシス都市・ホータンだと言われ
ている。


日本語と酷似するニュージーランドのマオリ族の言葉で、
タカは集まる。アマが集まるハラ(バル・原)がタカマ
ガハラ。カティマは「行き止まり・拠点」の意で、鹿島
鹿島灘に通じている。カトリ(香取)はカンドリ(舵取り)
が語源。日本神話の海幸・山幸神話は、東南アジア・
台湾・沖縄・オセアニアなどの海洋民族に広く分布して
いる。海幸の子孫は「隼人族」になった。

新撰姓氏禄によると、物部氏の本家は海部氏で神紋は
丹後国籠神社と同じく六芒星。祖先はインド・マガダ国
出身だという。海部氏は籠神社を拠点にして丹後王朝を
築いていた。日本の海峡や水道両岸には。海部郡が現存
している。豊後水道の大分県海部郡、紀伊水道の徳島県
海部郡、和歌山県海部郡、伊勢湾奥の愛知県海部郡、
東京湾の千葉県海上郡、船橋市海神(うなかみ)、日本海
隠岐国海部郡などである。海部は大和朝廷の直轄領で、
海岸を監理し、朝廷に海産物を献納する品部だった。


熊野大社から出た鈴木氏や中臣氏(藤原氏)も六芒星を使用
した。六芒星と菊花16弁紋はバール神の神紋であると
同時に、天孫族皇室の紋である。裏紋には出雲で多く
見られる亀甲紋が用いられる。古代日本は海によって、
オリエント世界と濃厚な関係を持っている。


PR: 女性に対する暴力は許さない!-政府広報

$
0
0
パートナーや恋人からの暴力に悩んでいませんか。一人で悩まず相談を。詳しくはこちら

古代鉱山地帯

$
0
0

イザナミ神はホト(陰)を焼かれて黄泉の国へ旅立つ。現世
と黄泉の国の境は、出雲国伊賦夜坂(いふやざか)。現在の
島根県東出雲町。ホト(陰)とは火処・火床の事である。
出雲国は銅鐸+銅剣文化圏である。

ヤマタノオロチ神話でニギハヤヒの別名「スサノオ」に
助けられたのは奇稲田姫。奇は霊妙。田は油田・炭田という
言葉が示す通り、鉱山・鉱区の意味。イナ・ナは穴=竪穴
で、横穴を掘り抜く技術はなかった。

丹生(にゅう)=赤は、丹砂・朱砂・辰砂と言い、主砂を
「飴」と称した。飴は甘・尼・雨に転じた。出雲出身の名族
尼子氏と関連している。朱は木材の消毒と防腐剤として
用いられ、悪魔を払う霊力があると信じられていた。赤土
を乾溜すると水銀が採れた。

出雲国から中国山地を挟んだ備前・備中・備後・美作国
(現・兵庫県+岡山県)を総称して「吉備国」と言う。祖神
は大吉備津彦命。鳴釜神事が現在まで続く吉備津彦神社が
一の宮である。吉備国は「真金(まがね)ふく吉備」と言われ、
製鉄=くろがねの一大生産地だった。阿曾の隋庵古墳からは、
鉄鎚、鉄床、砥石、たがねなどの鉄製品が出土している。


出雲国と同盟関係にある丹後国は、鬼伝説が数多く存在する。
京都府加佐郡大江町の大江山には酒呑童子伝説があり、
近辺には鬼の岩屋、鬼の足跡などがある。鬼の語源は隠(おん)、
隠れたもの=鉱物の意味である。事実大江山には古代鉱山跡が
数多く存在し、奥北原のタタラ場は、鉄を溶かす炎が夜空を
赤く染めていた事から「魔谷」と呼ばれていた。

丹後国から琵琶湖を南下して、大和国に入る。三輪山の麓の
大神神社のご神体は三輪山そのもの。物部氏の本拠地であり、
祭神はニギハヤヒ(大物主命)。三(み)は実=鉱物、輪は土や
石の囲いを意味する。三輪山は砂鉄の鉱山だった。砂鉄から
作り出した鉄は錆びないと言われる。

丹後国の隣国は越の国。越前・加賀・越中・越後から信州
方面の総称と言える。出雲国の版図と考えられる。古事記
の大国主命国譲り神話で、天孫族の使者・タケミカズチと
相撲をとって負けたのは、大国主命の息子・タケミナカタ。
タケミナカタは何の脈絡もなく信州・諏訪の地に逃れ、
諏訪大社の土地神となる。建御名方=南方と書く。諏訪大社
は別名「南宮」。武田軍の本陣の標識として、「南無諏方
南宮法性上下大明神」と「諏方南宮上下大明神」のニ幟
(のぼり)を掲げていた。

みなみ=皆実とは、鉱山用語で捨てるところのない優れた
鉱石の意。諏訪大社大祝(おおほふり)は金刺氏。金かね
は金属の総称で、古代の金は砂金か砂鉄。諏訪湖周辺は
優秀な砂金の産地だった。


金は「禁」なり

$
0
0

天平21(749)年4月、聖武天皇は百済王啓福チーム
が陸奥国黄金沢から産出した砂金900両が献上された
との報告を受けた。同年7月、位を孝謙天皇に譲り、
元号を「天平勝宝」と改めた。

自然金の比重は19.3.砂金は川底に沈んでいる。奥州
では安倍氏、藤原氏、伊達市が「欧州の砂」として利用
した。鉱物で金より重いものはプラチナしかない。鉱脈
に含まれる金は、1トンあたり1㎏に満たない希少鉱物
なのである。金山衆は巫女を同伴して山の気を観照しな
がら、川筋からどんな鉱物があるかを探ってゆく。水晶
や辰砂、金雲母は必ず金鉱石に絡む。

金鉱石も一度焼いてもろくし、砕いて水流で砂と比重選択
して分離する。残った重い石に炭を混ぜて鍋に入れる。
800℃から溶解し始め、1063℃から溶けて下に溜まり
出す。これが「露金」である。主に新羅三郎義光を祖とする
常陸の佐竹氏と、甲州の武田氏が金山開発に力を入れた。
武田氏の傭兵「金山衆」は、別名「百足衆」と呼ばれ、
毘沙門天の使いとされた。戦場にあっては敵の城の水脈を
断つ、堀を崩すなどの作業を行った。


4世紀の仙術ノウハウ本「抱朴子(ほうぼくし)内編」という
書物がある。鉱物の調合、使用法、錬金術に関する記述で
ある。この中の五行大義で「金は禁なり。金の季節は秋。
成長を止める。愁粛に通じる」とある。そう言われてみると
黄金の奈良の大仏も、戦火で溶け落ち、平城京も短命だった。
砂金をふんだんに使った奥州安倍氏と藤原氏も短命だった。
豊臣秀吉も武田信玄も次世代で滅んだ。徳川家の金山奉行・
大久保長安一族と家臣も、謀反の罪を着せられて全員切腹
か斬首されている。金は禁なのかもしれない。


役行者の感得した蔵王権現を祀る金峯山寺の山は、「金の
御嶽」と呼ばれ、黄金が眠る山と噂されていた。聖武天皇
も大仏建立に際して、蔵王権現に金の産出を祈った。
すると「此の山の金は弥勒の世に用いるべし。我はただ守る
なり。分けがたし」と答えたという。他にも金が埋蔵されて
いる場所がある。日本3大霊場の1つ、青森県下北半島の
「恐山」である。

日本国関東黄金文化圏

$
0
0

歴史は常に勝者の都合によって捏造される。これは持統天皇
と藤原不比等の時代に完成した「日本書紀」についても言える。
そこに何が書かれているかだけではなく、何が書かれていない
のかを見抜くことが出来るかどうか。書かれている捏造が
聖徳太子像だとするならば、書かれていないのは蘇我氏に
ついてであろう。

945年に成立とた唐代の歴史書「旧唐書(くとうじょ)東夷伝」
には、倭国伝と日本国伝が併記してある。それによると日本国
は倭国(近畿地方・大和政権)とは別種。倭国の東、日の昇る
方角にあるとしている。地図で見ると関東地方がこれに
あたる。ここには確かに大和政権に匹敵する黄金の文明圏
が存在していた。そしてその事は日本書紀には書かれて
いない。時期としては蘇我氏が前方後円墳が築き始めた
3世紀頃から、蘇我一族が大和政権の中枢権力を握る
6世紀頃にあたる。


遠祖を月氏とする騎馬民族で、前方後円墳の風習がある
蘇我氏の中枢、鹿島神宮はシリウス信仰だと述べた。
シリウスやオリオンなどの星信仰を持つのは、海洋系民族
に多い。鹿島周辺は砂鉄の産地だが、同時に霞ヶ浦から
利根川の水路を通じて毛の国(群馬県・栃木県)や武蔵国
(埼玉県・東京都)あたりまで深く繋がっている。

イメージから言うと、前方後円墳と言えば仁徳天皇凌など
近畿・大和地方を思い浮べるが、関東は38000基と、
近畿の5倍以上の前方後円墳がある。群馬県高崎市の
観音塚古墳の石室は、関東の石舞台と言われるほど正確
無比の積石で、その中からは黄金の冠、兜、ベルト、
耳輪14点、王の靴、装飾品、馬具、鏡、水晶の勾玉
など300点が発見されている。水晶の原石は甲州産で、
鹿島近くで加工されている。

観音塚古墳群の近くには、飛鳥京を連想させる水に浮かぶ
宮殿が発見された。水利土木を知り尽くした高度な設計で、
大王の絶大な権力を感じさせる。大和政権の記録によれば、
砂金の産出は陸奥国が最初で、やや遅れて茨城県太子町
隣の、栃木県馬頭町の砂金産出となる。いずれも奈良時代
である。だが群馬の黄金文化はそれ以前の時代の事。
飛鳥朝廷に献上する義理などなかったわけだ。

こうした高度な黄金の経済力と騎馬の軍事力を背景にして、
大和政権の中枢に蘇我氏が台頭してくる。倭国は日本国に
乗っ取られようとしていたわけだ。だから全力で蘇我氏を
排除するしかなかった。彼らの神話と歴史、文化の全てを
剥奪しにかかった。男神アマテルは女神アマテラスになり、
大化の改新の背景であり、蘇我氏の歴史書の焚書であり、
日本書紀で聖徳太子を捏造して「日の出ずる処の天子」と
言わしめた物語に繋がる。聖徳太子の業績の大半は、蘇我馬子
のものだろうと思われる。また薄葬令によって前方後円墳建設
を禁止し、蘇我氏の文化をことごとく抹殺していった。
そうしておいて藤原不比等は改めて、倭国を「日本」と
改めたのである。

健康広告⋰高血圧・糖尿病

$
0
0

○高血圧


心臓が縮んで血液を押し出す時の圧力が血圧です。正常値は
89~139mmHgで、最大血圧160mmHg以上か、最小血圧
95mmHg以上の場合が高血圧と言われています。血圧が高いと
その圧力で血管壁が痛みやすくなり、動脈硬化が促進される
というわけです。

一般的には減塩ですね。食塩をとり過ぎると血圧を上げるとか、
でも食塩による血圧上昇の程度(食塩感受性)には個人差が
あって、まったく血圧が上がらない人もいるそうです。
減塩は、左心室肥大という心臓の病気やたんぱく尿の程度を
軽くする、動脈の柔軟性を高める、降圧薬の効果を高める、
ナトリウム排泄に使われるカリウムが失われるのを防ぐ
などのよい点があります。


http://akikole33.blog100.fc2.com/blog-entry-123.html



糖尿病は初期の段階では自覚症状が有りません。
糖尿病の主な症状は「口渇、多飲・多尿・空腹(いくら
食べても満足出来ない・急激に痩せる・傷が治り難い・
疲れ易い・倦怠感。身に覚えがあるようならば、病院の
内科での検査した方が安心でしょう。ちゃんと血糖値を
測定し血糖値の状態=血糖コントロールを「良くする」
ことで、いわゆる「治った」と同じ状態に戻すことは十分に
可能です。



http://kame33.blog.shinobi.jp/


持統天皇

$
0
0

「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 
 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)」

とは百人一首・持統天皇の歌である。


表面的な優等生だと、「いつの間にか、春が過ぎて夏が
やってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと
言いますから、あの天の香具山に(あのように衣が
ひるがえっているのですから)」という爽やかな衣替えの
歌と解釈する。

だが歌を詠んだのは、中臣鎌足と共謀して蘇我入鹿を暗殺
した中大兄皇子=天智天皇の娘なのだ。日本書紀では
蘇我入鹿を聖徳太子一族を皆殺しにした大悪党と描かれて
いるが、聖徳太子そのものが日本書紀の創作人物である
可能性が高いので、山背皇子一族暗殺も疑わしくなって
くる。


持統天皇は壬申の乱で近江朝を滅ぼした天武天皇の妻。
わが子草壁皇子の病弱を忌まわしく思い、毒殺したと
噂されている。大津皇子や高市皇子の殺害を命じた
母なのである。さらに天智天皇の盟友・藤原鎌足の子・
藤原不比等を重用して、二人三脚で蘇我氏排除を実行した、
天照大神を女神にした張本人である。表向きはよき妻を
演じきった悪女なのだ。そんな爽やかな歌を詠むわけが
ない。

天の香具山は、畝傍山・耳成山と共に飛鳥京の大和三山で
ある。蘇我氏の邸宅と武器庫、入鹿の首塚がある甘樫の丘
からは、この大和三山がよく見える。天女が天の羽衣を
取られたら身動きが出来なくなるように、蘇我氏から
律令制を取り上げてしまったならさぞかし困って身動きが
出来なくなるでしょう、という意味と読み取れるのだ。

事実、蘇我氏の律令制は、天皇を中心に据えた政治なのに
対して、大宝律令以降は表は天皇家、裏は藤原家という
律令制にすり替わっていこれが持統天皇に読めていたのか、
藤原不比等の謀略だったのかは不明。だが桓武天皇以降、
天武系天皇は消滅し、持統天皇の血統である天智系天皇が
独占しているのは事実である。



○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o


株式ブローカーがやっていることは投資ではなく売買。卸値で
品物を買い小売値で売る店主と変わらない。ギャンブラーに
とって投資は運まかせのゲーム。詐欺の被害者に共通するのは
「依存」です。自分でお金や投資の知識を磨きましょう。
投資の運用資金を他に任せてしまう人は投資そのものを学ぶ
気がない人です。株式は「投資」です。


http://idia33.blog76.fc2.com/blog-entry-92.html



こんなところにフェニキア人

$
0
0

海の遊牧民と言われたフェニキア人は、自らをカナン人
と称していた。彼らはトルコ、イタリア、シチリア、
スペインなどの地中海沿岸で、ワインやオリーブ油、アフリカ
の金や象牙、シナイ半島のトルコ石や乳香、レバノン杉などの
交易を行っていた。外洋航海の知識と技術はクレタ文明を継承
した。サントリーニ島の航海記録壁画は、BC1500年以前の
ものである。海底の泉から真水を得る方法も知っていた。

船はレバノン杉の竜骨を備えた堅固な構造船で、隙間をタール
(瀝青・アスファルト)で埋めていた。長さ9~24m。中央部
のマストに大きな横帆が付き、6本のロープを畳んだり向きを
変えたり出来た。現代でもアラビア海で航行するダウ船の姿に
似ている。積載量250トン。1日50kmの航行距離。
夜間の目印は小熊座だった。

スエズ運河は当然無いので、東アフリカ航路は、エジプトの
アスワンから航海まで300㎞の砂漠キャラバンルートを
使った。ラクダで15日の、夜間星空をたよりに行く旅だった。
古代イスラエルの黄金時代となったBC960年のソロモン神殿
建設にも、フェニキア人の交易による富と技術が大いに役立った。


後に古代ギリシャの歴史家・ヘロドトスは、航海から南下した
船団が、3年目にヘラクレイトスの柱(ジブラルタル海峡)を
回って再びエジプトに帰ってきたと記している。
アフリカ大陸を一周出来る程の外洋航海術なのだから、大西洋を
渡ってアメリカ大陸にも行っていた。北米インディアンの
ミクマク族には何百という古代エジプト語や古代ケルト語の
単語が確認されている。ニューハンプシャー州ミステリーヒル
からも「バール、ガシヤンに奉る」という碑文が発見されている。
バールは西セム系のバール神の名称で、ガシヤンはウル・
シュメール系の男神である。つまり船団の乗組員は、メソポタミア、
ケルト、ユダヤ、フェニキアの混成民族集団だった。

当然東はメソポタミアやインドと交易を行っていた。ポリネシア
にもカルタゴ碑文がある。インド洋から太平洋に抜ければ、海流
に沿って北上すれば、沖縄から日本列島にたどり着く。阿久悠
作詞「石狩挽歌」にも歌われた北海道手宮フゴッペの古代文字は、
古代アッシリアの楔形文字と共通要素が見られるという。浜松市
天竜区水窪町の「水窪石」は、「バルーツ(バール神の女性形)
ガシヤン(男神)に奉る」と解読された。こんなところにも
フェニキア人。

単純にフェニキア人と書いたが、交易船団には航海技術者だけで
なく、ユダヤ人商人やケルト人の採鉱・金属精錬技術者なども
乗船していたと考える方が筋が通る。水窪町は天竜川中流域の
銅山地帯である。上流の諏訪地方は、縄文時代からの大集落が
あり、砂鉄の産地。もっと探せば水晶や金も豊富にある。
おそらくはフェニキア人、ケルト人、ユダヤ人の何人かは諏訪
に住み着いただろうと思われる。縄文時代後期頃の話である。



○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o



○高血圧


心臓が縮んで血液を押し出す時の圧力が血圧です。正常値は
89~139mmHgで、最大血圧160mmHg以上か、最小血圧
95mmHg以上の場合が高血圧と言われています。血圧が高いと
その圧力で血管壁が痛みやすくなり、動脈硬化が促進される
というわけです。

一般的には減塩ですね。食塩をとり過ぎると血圧を上げるとか、
でも食塩による血圧上昇の程度(食塩感受性)には個人差が
あって、まったく血圧が上がらない人もいるそうです。
減塩は、左心室肥大という心臓の病気やたんぱく尿の程度を
軽くする、動脈の柔軟性を高める、降圧薬の効果を高める、
ナトリウム排泄に使われるカリウムが失われるのを防ぐ
などのよい点があります。

http://akikole33.blog100.fc2.com/blog-entry-123.html


諏訪大社御頭祭/イサクの祭り

$
0
0

諏訪大社近くの辻の道祖神は、右の男神の右手が左の
女神の右肩に置いている。これはシュメール文明と同型
の神像だという。諏訪の八ヶ岳山麓には、縄文時代の
大集落があり、龍蛇神ミシャクシと弥生系諏訪大神とが
集合していた。出湯が湧き、山野には水も食糧も豊富な
土地柄だった。そうした背景の中で、日本最古の神社、
諏訪大社が成立してゆく。

天孫族の天照大神が支配する国となり、諏訪大社の諏訪
大神の主祭神も建御名方神と名を変えた。諏訪大社上社
の大祝(おおほふり)は諏訪氏で、家紋は梶の葉。下社の
大祝は金刺氏である。諏訪大社神領は矢崎郷、有賀郷、
田沢郷、金子郷、岡谷郷、大塩郷、塩原郷。現在の岡谷市、
茅野市、富士見町などの地域である。そして諏訪大社本宮
に本殿は無く、御神体は守屋山(1651m)そのものなの
である。

モリヤと言えば、現代イスラエルの首都・エルサレムの
旧市街地、シオンの丘の事。古代イスラエル王国でソロモン
が神殿を建設したモリアの丘。ダビデの前に神が顕現した
場所。さらに遡ると、イスラエル氏族の父祖アブラハムが、
主ヤハウエに信仰を試され、モリアの地に行く事を
命じられ、わが子イサクを生贄にするよう求められたが、
殺す寸前で許され、代わりに雄羊を捧げた場所なのである。
この試練は後にひとり子イエスを人類に引き渡す為の予型
であったと解釈されている。(創世記22章2節)
事実この場所でイエスは十字架に架かっている。ユダヤ人に
とって聖地中の聖地がモリアの地なのだ。

繰り返すがユダヤ人にとっての聖地が、諏訪大社上社本宮の
御神体山の名前なのである。諏訪大社はモリアに降臨する
神の為に建てられた神社だという。そればかりではない。
諏訪大社には、明治時代まで続けられていた「御頭祭」と
いう奇祭がある。別名「ミサクチの祭り」。イサクに由来
するという意味だという。その起源はおそらく縄文時代
後期だろうと推定されている。

御頭祭では少年が「御贄柱(おにえばしら)」に縄で縛り付け
られ、人々は少年を柱ごと竹のむしろの上に押し上げる。
その時神社の神官が小刀を取り出して振り上げる。その時
別のところから使者が馬に乗って現れ、鈴を鳴らしながら
騒ぎ立て、それを止める。少年は解き放たれる。その
代わりに75頭の鹿の頭が犠牲獣として供えられるという
ものである。イスラエルの父祖・ヤコブがエジプトに移住
した時の人数は75人。諏訪大社では年間75の神事を
行っていた。カバラで解釈すると7+5=12という興味
深い数になる。



○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o


あなたは、勝った負けたで一喜一憂を繰り返す不安定な投資”
から決別したいと思っていませんか?いずれに転んでも
戦略次第で利益が出せる投資種目が“オプション取引”です。
オプション取引は株やFX、日経225先物に比べて、
非常に自由度の高い投資種目です。


http://idia33.blog76.fc2.com/blog-entry-123.html

諏訪大社と古代イスラエル

$
0
0

諏訪大社と言えば、7年に1度の「御柱祭」が有名だ。
4つの宮の四方に、樹皮を剥いだ生木の柱を柱を立てる
為に、木を切り倒し、人が乗ったまま山の斜面を滑り
降りる。時には死者も出る、命がけの祭りである。

柱の信仰は古代イスラエルにもある。ソロモン神殿建設
の時にも、レバノン杉を曳いて運んだ。当時の北イスラエル
10支族の人々は、古代アッシリアの女神「アシラ」を
信仰していた。アシラのシンボルは聖木。これを切り倒して
立てた。ハシラの語源とも言われる。日本神道で「柱」は
神の数詞である。神官である祝(ほふり)の語源も、ヘブル・
アラム語のカフリ(贖いをする者)だと言われている。

諏訪大社上社前宮に、十間廊という建物があり、御頭祭の
時には、側面は全て布の幕で覆われる。出エジプトの放浪
時代、イスラエル人は移動式神殿「幕屋」を建てた。長さ
30キュピット、幅10キュビット。十間廊とほぼ同じ
大きさである。入口はどちらも東側にあり、西側の部屋が
最も神聖な至聖所。契約の箱アークが置かれていた場所で
ある。十間廊でも神官たちが運んだ御御輿が置かれ、
75頭の鹿の頭も奉納されていた。

ここで神官が祝詞(のりと)をあげる。祝詞は神への感謝、
賛美、自分たちの罪の告白、清めの願い、自らの願い、
人々のためのとりなしと続く。これらは旧約聖書の詩編
第51編とそっくりだという。ここまで古代イスラエルの
神事と諏訪大社の祭りが共通の要素を持ちながら、他の
アジア諸国、中国、朝鮮半島などにイサクの祭りは存在
していないのである。

日本の神社が意味するもの

$
0
0

そもそも神社の社殿を社(ヤシロ)と言う。ヤYHAはヘブル語
で神。シロは臨在の幕屋(モーゼの移動式神殿)という意味で
ある。同様に鳥居はソロモン神殿の「ボアズ」と「ヤキン」
という、内部が空洞になった青銅製の2本の柱に由来して
いる。さらにその由来は、モーゼが出エジプトの際、殺戮の
天使の禍を封じるために、家の入口にある左右の柱と鴨居に
羊の血を塗った事による。これが朱塗りの鳥居となったのだ。

神域に賽銭箱があるのは、世界中で古代イスラエルと日本の
神社だけである。神社を囲む瑞垣(みずがき)は、ソロモン神殿
の回廊(脇廊)。ソロモン神殿に聖所と至聖所があるように、
神社にも拝殿と奥殿(神主が祈祷する場所)がある。かごめ紋
(六芒星=ダビデの星)は伊勢神宮奥宮と伊雑宮の紋章である。

注連縄(しめなわ)は雷雲、鈴は雷鳴、紙垂(かみしで/ギザギザ
の紙)はヤハウエの象徴。シナイ山でモーゼがヤハウエから
十戒を授かった時にも、雷鳴と稲妻という形でヤハウエが出現
している。そう説明されると、日本の神社がよく理解出来る
から不思議だ。

幕屋やソロモン神殿には青銅の水盤があり、祭司が体を清めた。
日本の神社にも手水舎(てみずや)があり、参拝者はここで手を
洗い、口を漱ぐ。そしてこの水は青銅の蛇か龍の口から吐き
出される。これもモーゼの出エジプト記の故事に由来している。
モーゼがイスラエルの民を率いて荒野を旅していた時、飲料水
確保の為に持っている杖で岩を突いた。するとそこから清水
が湧き出すという奇跡が起きた。

荒野における水は生命の水である。しかし無くなればまた渇く。
これに対してイエス・キリストは言う。

「この水を飲む者はまた渇く。だがわたしが与える水を飲む者
は決して渇かない。わたしが与える水は、人の内で泉となり、
永遠の命に至る水が湧き出る。(ヨハネによる福音書4章13節)

手水舎の水は飲むものではなく、手と口を清めるためのもの。
それは禊ぎである。原始キリスト教徒の秦氏にとってはバプテスマ
と言い換える事が可能なのだ。ここにきて改めて明治天皇の
御言葉が思い出される。

「日本は神道だが、神道はユダヤ教だな。」


伏見稲荷大社/イナリの意味

$
0
0

原始キリスト教の流れを汲む秦氏一族は、八幡宮系神社
の他にも、松尾大社系、春日大社系、日吉大社系、
賀茂神社系、白山神社系、金毘羅神社系、平野神社系
など、日本の神社の大半の創建に関わっている。中でも
現在「お稲荷さん」として全国の隅々にまで浸透している
稲荷神社の総本山・伏見稲荷大社が秦伊呂巨(いろこ)
によって創建されたのは、和銅4年(711)2月の事。

だが稲荷というのは平安時代初期の僧・空海のあて字で、
本来は「伊奈利」と表現していた。正一位稲荷大明神の
御神木は杉。狐はダキニ信仰と習合して、稲荷のお使い
(眷属)になった。狐は中国の霊獣で本体は北斗星。
ダキニや稲荷狐の異名を「辰狐(しんこ)」と言う。辰は
恒星or北斗星の事である。

北斗七星の神の化身であるダキニは、元・夜叉羅刹で、
無差別に人を喰っていた。最も好むのは頭蓋骨頭頂の十字
縫合部にある6粒の「天津霊(あまつひ)=人黄(じんおう)
=あらゆる生き物の魂魄」である。ダキニはヒンドゥの
最高神・シヴァの暗黒の妃カーリー侍女で、墓場の巫女と
呼ばれ、性ヨーガにも通じていた事から、真言立川流の
髑髏本尊になってゆく。人間の根源的力であるタナトスと
エロスの象徴なのである。

タナトス(死)とエロスのイメージは、私を「イナリ」の
根本的意味に立ち返らせる。原始キリスト教徒の秦氏が
創建した最重要神社の1社がイナリ社なのである。彼らに
とって最も重要な「死」と言えば、ナザレのイエスの
十字架での死である。キリスト教絵画で十字架上部の
罪状板には「JNRI」の4文字が描かれている。これは
ラテン語で「Jesus Nazarenus RexLudaeorum」の略語で
ある。これがヘブル語、ギリシャ語、ラテン語で描かれた。
Jesusは「Lesus」とも表される。いずれもナザレのイエス
という意味である。INRIはインリと発音された。これが
イナリに転訛したわけだ。



このたびアマゾンのKINDLEから
「今昔玉手箱・不可思議な国・日本」を出版しました。
購入は↓↓ から
http://www.amazon.co.jp/-/e/B00GYN536S


Viewing all 176 articles
Browse latest View live