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Channel: 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」
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ヒパチア惨殺

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コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認した後、テシオドス
1世は380年に国教化すると共に、異教祭儀の禁止令を発した。
391年テシオドスはアレキサンドリアのキリスト教司教
テオフィロスに対し、エジプトの神殿と異教施設の破壊を許可
した。これによりサラピス寺院やユダヤ人シナゴーグなどと
共に、古代の叡智が結集したアレキサンドリア大図書館の蔵書
70万巻がキリスト教徒によって焼き払われた。キリスト教徒
にとって、思想と学問は神に対する冒涜だった。

370年アレキサンドリア生まれのヒパチアは数学者+天文学者
+新プラトン主義の哲学者であり、その哲学学校の校長だった。
しかも何より美人!! 美貌の才媛はいつの時代でも人気があり
目立つ。キリスト教徒にとって彼女は、神に対する冒涜を象徴
する人物だった。

415年3月、ヒパチアは馬車で学校へ向かう途上、アレキ
サンドリア総司教キュロリスの部下たちに襲撃され、教会に
連行された。禁欲的修道士はおおむね変態だ。彼女は全裸に
され、生きたまま牡蠣の貝殻で肉を骨から殺ぎ落とされ惨殺
された。被害者の苦悶を見て興奮し、肉体を破壊することで
性欲を満足させる典型的快楽殺人だ。

「神の命令に叛き、傲慢にも男に教えを授けた邪悪な女だった
から」とは、主教キュロリスの弁。おそらくはヒパチアと神学
論争でも行って、彼女にやり込められたのだろう。面子を
潰されたキュロリスは彼女の才を妬み、復讐心を募らせた。
あるいは惚れたか? その両方か? 

キュロリスは教皇レオ13世により聖人の列に加えられた。
一方ヒパチア惨殺により、アレキサンドリアの大半の学者が
亡命し、古代エジプトの叡智とギリシャ哲学・数学・科学
の結晶として栄えたアレキサンドリアは、キリスト教徒に
よって滅び去った。


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