ローマ帝国は235~284年の49年間に、26人が即位
するという軍人皇帝時代を迎える。在位期間が1人平均2年
なので、平成日本の首相交代よりはまだマシってことかも。
284~305年はディオクレティアヌス帝が専制君主制
を復活させ、帝国を東西に二分してそれぞれに正帝と副帝
を置いた。彼は自らを「主にして神」と呼ばせた。キリスト
教徒がこれを受け入れるはずもない。少しだけ黙認していれば、
命ので落とさずに済むのにねなぁ。
コンスタンティウス・クロルスは西の副帝として、ライン川
前線防衛の任にあたった。妻ヘレナはブリタンニア(ブリテン島)
出身のキリスト教徒だった為、キリスト教に対しては宥和政策
をとった。2人の間に生まれたのがコンスタンティヌス大帝で
ある。コンスタンティヌスは313年東の正帝リキニウスと
共に、全ての信仰の自由を保障するミラノ勅令を発布し、事実上
キリスト教が公認された。
324年にはリキニウスを破ってローマ単独支配を成し遂げた。
リキニウスとの戦いで名将として兵士たちから圧倒的人気を得て
いたのが、長男の副帝クリスプスである。人気実力を兼ね備えた
存在というのは、自らの地位を脅かす存在でもある。という
わけでコンスタンティヌスは、クリスプスがコンスタンティヌス
の2度目の妻ファウスタと密会したという虚偽の密告を口実に
して処刑。ファウスタも釜茹でに処した。読者の中には
「あいつを釜茹でにしてやりたいー」と羨ましがる人もいる
だろうが、そこはそれ、皇帝ですから・・・
ファウスタには3人の子があった。337年に大帝が崩御すると、
コンスタンティヌス2世が後継の皇帝となった。猜疑心の強い男
だった。無理もない。父は異母兄殺害し、実の母を釜茹でに
した男である。この呪われた血筋を根絶やしにしようと、大帝の
異母弟ユリウス・コンスタンティウスなどの一族を皆殺しにした。
まっ、シェイクスピアの世界だね。
だがユリウスの幼い兄弟、ガルスとユリアヌスだけは生き延びた。
ユリアヌスは数奇な運命を経て皇帝になる。哲学者リバニウス
から新プラトン主義を学び、ローマ帝国本来のミトラ教を復興
しようとしたが、キリスト教を迫害する事はしなかった。
キリスト教徒は「殉教の栄光を与えないのか」と批難したと
いう。お前ら、そんなに死にたいのかよ!!